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「アシカ」抱いて写真を撮った済州の海女、光復節に独島訪問

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.06.14 13:05
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#幅広いズボンに頭に布を巻いた女性が動物の首をなでている。1950-60年代に独島(ドクト、日本名・竹島)の海に潜っていた済州(チェジュ)の海女キム・ゴンジャさんがアシカを抱いた姿だ。キムさんの若い頃の姿が写っている白黒写真には、今では消えた独島のアシカが鮮明に見える。

#済州市翰林邑挟才里(ハンリムウプ・ヒョプチェリ)には「鬱陵島(ウルルンド)出漁婦人記念碑」がある。済州挟才里大韓婦人会が1956年に碑石を設置したという内容と共に、裏面には海女の名前がぎっしりと刻まれている。1950年代に独島と鬱陵島に出漁した済州の海女の名前だ。この碑石から660キロ以上離れた独島の東島には済州の海女が海から出て休んだ「海女岩」がある。

 
過去に独島に出漁した「済州海女」の生活が77周年8・15光復節(解放記念日)を控えて注目を集めている。その済州海女が光復節の前後に独島を訪問する予定だからだ。

慶尚北道(キョンサンブクト)は13日、「1950年代、60年代に独島に出漁した海女をはじめ済州海女およそ40人が8月17日に鬱陵島(ウルルンド)を経て独島を訪問する予定」と明らかにした。独島訪問には過去に独島の海に潜った海女キム・ゴンジャさん、ホン・スンオクさん、コ・ジョンスンさんが同行する。独島と済州の海女の間の歴史性などを保全・記念するための行事だ。

慶尚北道などによると、済州海女が初めて独島に行ったのは1930年代という。日帝強占期に朝鮮の水産資源に対する収奪があった時期だ。当時、日本人は独島のアワビなどを採取するため、済州を訪れて海女を雇用したという。

独島に長く留まって海に潜った済州海女の記録は1950年代から出てくる。慶尚北道のキム・ナムイル環東海地域本部長は「1950年代に独島義勇守備隊員が独島のワカメなどを採取するために数十人の済州海女を募集し、鬱陵島を経由して独島で漁をしたという記録がある」とし「済州海女の出漁ということであり、その現場が独島の海だったということ」と説明した。

1950-60年代に済州の海女は一定の対価を受けて鬱陵島住民などの要請で何度か独島に出漁した。一度に30-40人の海女がチームを組んで独島の海に潜ったという。

海女らは独島の東島の洞窟で数カ月も過ごした。ここは独島で唯一「雨水がたまった水」がある天然洞窟だ。独島に渡った海女は宿泊施設もない独島で、飲める水がある洞窟で過ごした。その洞窟とみられるところの前に立った済州海女の姿が写った写真も残っている。

鬱陵島独島海洋研究基地のキム・ユンベ博士は「済州海女は1960年代後半、慶尚北道の支援を受けて建てられた独島西島の『漁業人宿舎』に移ることになった」と説明した。

済州海女は今は見られない独島アシカにも接していた。アシカを抱いて撮った済州海女の写真が残っている。

ユネスコ人類無形文化遺産の済州海女は減少している。昨年末現在3437人と、1年前の2020年(3613人)に比べ4.9%(176人)減少した。半分以上が70歳以上であるほど高齢化も進んでいる。

慶尚北道は海女文化遺産保存事業に取り組んでいる。昨年は「慶尚北道海女文化伝承・保全に関する条例」を作った。今年下半期は浦項(ポハン)に「水産創業支援センター」がオープンする予定で、「慶尚北道帰漁海女学校」も設置する計画という。

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    「アシカ」抱いて写真を撮った済州の海女、光復節に独島訪問

    2022.06.14 13:05
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    1950-60年代に独島で済州の海女キム・ゴンジャさんがアシカを抱く姿。 [写真 独島義兵隊]
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