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「40年の労役より韓国政府の無関心がつらかった」…尹大統領の就任式に出席した国軍捕虜(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.05.27 11:15
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韓国戦争(朝鮮戦争)が終結に向かっていた1953年6月10日、第5師団第27連隊所属の二等中士が高地を越えた。わずか1キロ先の高地で対峙する北朝鮮軍の動向を把握するためだった。敵軍はすでに「最後の戦闘」を準備していた状況。突然、砲弾が飛んできて脚に破片が刺さり、下半身がまひした彼は結局、人民軍に捕まった。韓国戦争停戦協定が締結される1カ月前のことだ。

捕虜になったが、希望は捨てなかった。分隊長と指揮官、そして国軍統帥権者の大統領が北朝鮮にいる捕虜を見捨てることはないと信頼していたからだ。しかし23歳の青年だった二等中士はその後40年間、北朝鮮の炭鉱で地獄のような強制労役を続けることになった。韓国政府の無関心の中、彼は70歳になった2000年、人生の最後は故郷で過ごすという一念で脱北を図った。国軍捕虜ユ・ヨンボク氏(92)の話だ。

 
ユ氏が脱北後に韓国に定着して12年が経過した。その間、大統領は3回交代し、そのたびに「今からでも政府が国軍捕虜問題の解決に注力してほしい」と要請したが、返ってきたのは沈黙だけだった。特に文在寅(ムン・ジェイン)前政権では南北および米朝首脳会談が連鎖的に開催され、北朝鮮との対話の窓口が開かれたが、国軍捕虜問題にはいかなる言及もなかった。

ユ氏は20日、中央日報との電話インタビューで「北がすでに何度か『北に残っている国軍捕虜はいない』と公言した状況で国軍捕虜問題を提起すれば、むしろ対話がこじれて対立するのではないかと考えてためらったようだ」とし「歴代どの大統領も国軍捕虜問題に無関心のまま歳月が流れ、もうみんなが疲れて挫折した」と話した。そして「今後、韓国戦争のような戦争がまた起きても、参戦する軍人は『自分が捕虜になっても政府は関心を向けないかもしれない』という疑いを抱く状況になった」と指摘した。以下は一問一答。

--尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が就任式に国軍捕虜を招請した。国軍捕虜の招請は初めてだ。

「これまで国軍捕虜問題は解決できないと絶望していた。しかしまた希望が少しずつ生じている。就任式の予行演習で午前4時から忙しく動いたが、全く疲れなかった。大統領が国軍捕虜問題の解決に積極的に取り組むという期待のおかげだ。本当にありがたいことだが、実際あまりにも遅い。帰還した国軍捕虜はほとんどが死亡し、北に残っている方たちも同じ状況であるはずだ」

--尹大統領は就任式で護国・報勲を強調した。

「期待が大きい分、心配も先立つ。政府が国軍捕虜問題に持続的に関心を持つだろうという考えより、ただ政府初期の広報用として活用するのではという気がするのも事実だ。ぜひ今の気持ちを忘れずに、最後まで政府の責任を果たしてほしい」

--政府の無関心の中、正確な国軍捕虜の統計さえもない状態だ。

「北にいた当時、他の捕虜と共に『政府は我々を忘れてはいないはず』と数えきれないほど自己慰安をした。しかしすでに韓国政府にとって国軍捕虜は忘れられた存在だった。40年以上の強制労役より祖国の無関心がもっとつらい」

--国軍捕虜問題が解決されるためにはどんな措置が必要か。

「まずは韓国戦争当時に何人の国軍捕虜が北朝鮮に連行されたのか、そのうち何人が死亡し、生存者はいるのかを確認しなければいけない。北に生存している国軍捕虜が1人でもいるなら連れてくるべきだ。そして国軍捕虜に対して礼遇をする必要がある。お金や勲章のような大きなものを望むのではない。祖国を守るために参戦し、家族と生き別れ、奴隷生活をしたことに対する礼遇と謝意を示すことを願う」

「40年の労役より韓国政府の無関心がつらかった」…尹大統領の就任式に出席した国軍捕虜(2)

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    「40年の労役より韓国政府の無関心がつらかった」…尹大統領の就任式に出席した国軍捕虜(1)

    2022.05.27 11:15
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    ユ・ヨンボク氏は1953年の韓国戦争当時、北朝鮮人民軍の捕虜になった。その後40年間ほど炭鉱などで強制労役に苦しみ、2010年に脱北した。韓国に定着して以降、ユ氏は国軍捕虜問題の解決のために老骨に鞭を打っている。写真は朝鮮戦争当時の韓国軍。 [韓国国防部]
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