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韓国産業化の生き証人、具滋学アワーホーム会長死去…享年92

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.05.12 11:19
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アワーホームの具滋学(ク・ジャハク)会長が12日午前5時20分ごろ老衰により死去した。享年92。具会長は1960年代から食品・化学・電子・建設分野の企業で経営者として活躍した「産業化第1世代」の生き証人だ。LG系列会社の飲食サービス事業部を独立させ売り上げ1兆7000億ウォン規模の総合食品企業に成長させた。

具会長は1930年、LGグループを創業した具仁会(ク・インフェ)氏の三男として生まれた。海軍士官学校を卒業して韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦した。軍服務時代に忠武武功勲章、花郎戦闘功労勲章、護国英雄記章などを受章した。その後少領(少佐)として予備役に編入した。57年にサムスン創業者の李秉チョル(イ・ビョンチョル)氏の二女の李淑熙(イ・スクヒ)氏と結婚した。その後具会長は10年余りにわたり第一製糖理事とホテル新羅社長などを務めサムスングループで働いた。1969年にサムスンが電子産業への進出を宣言しLG(当時は金星)との競争構図が形成されるとLGグループに戻った。

 
具会長はその後ラッキー代表理事と金星社社長、ラッキー金星グループ副会長、LG半導体会長、LGエンジニアリング会長、LG建設会長などを歴任した。ラッキーは1981年に「国民的歯みがき粉」と呼ばれる「ペリオ」を開発し、1983年に韓国で初めてポリブチレンテレフタレート(PBT)素材を作った。1985年には「ドゥボン」で韓国の化粧品ブランドとしては初めて海外に輸出した。86年の輸出の日記念式で金塔産業勲章を受章した。

1995年にLGエンジニアリングでは韓国の業界で最初に日本のプラント事業を受注した。2000年にはLG流通の食品サービス(FS)事業部門とともにグループから独立しアワーホームを設立した。アワーホームは団体給食業界で初めて2000年に食品研究院を設立した。アワーホーム食品研究院は現在までにレシピ1万5000件以上を開発し、100人を超える研究員が毎年新規メニュー300種類を発表している。売り上げは2000年の2125億ウォンから昨年は1兆7408億ウォンと8倍以上大きくなった。団体給食事業と食材流通事業のほか、機内食とホテル運営業にまで事業を拡大している。

2016年には長男である具本聖(ク・ボンソン)副会長(長男)が代表理事に選任され後継構図が固まった。LG一家では経営権争いを事前に遮断するため、グループ会長は長子が務め、他の家族の一員は経営の第一線から退いたり系列分離で独立する原則がある。だが具副会長は昨年報復運転で相手車両を破損した容疑などで裁判にかけられて懲役6月に執行猶予2年の宣告を受け、結局会社からも解任された。当時実妹の具ミヒョン、ミョンジン、ジウン氏が一致協力して具副会長の解任案を通過させた。

現在アワーホームは具前副会長が株式の38.6%、ミヒョン、ミョンジン、ジウンの3姉妹が合わせて59.6%を保有している。具会長は昨年6月にアワーホーム理事会で社内理事に再選任されず経営の第一線から退いた。遺族は妻の李淑熙氏と長男の具本聖氏(アワーホーム前副会長)、長女の具ミヒョン氏、二女の具ミョンジン氏、三女の具ジウン氏(アワーホーム副会長)がいる。葬儀室はソウル峨山(アサン)病院に設けられ、出棺は15日午前8時。京畿道広州(キョンギド・クァンジュ)の広州公園墓地に埋葬される。

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