韓国映画界の初のワールドスター、空の星になる(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.05.09 07:30
サムスンソウル病院葬儀場に用意された故人の葬儀室には映画界の先後輩と同僚の追慕が相次いだ。8日、葬儀室を訪ねたイム・グォンテク監督は「私が先に死ぬべきだが、私よりはるかに幼い人が先に行くから」として落ち込んだ表情を隠せなかった。自身の映画『シバジ』『ハラギャティ 波羅羯諦』を通じて故人がワールドスターになる過程をともにしたイム監督は「良い演技者に会った幸運のおかげで私の映画がもう少し輝くことができた」と感謝の意を表した。
前日(7日)葬儀室に立ち寄って帰ったキム・ドンホ〔現、江陵(カンヌン)国際映画祭理事長〕元釜山国際映画祭理事長は8日午前、一番最初に弔問した。また、葬儀室を訪れたポン・ジュノ監督は「数カ月前までしばしば会って長い時間会話したが、実感が浮かない」と複雑で息苦しい心境を表わした。映画『鯨とり2』(1985)を手掛けたペ・チャンホ監督は「難しい撮影が多かったが、嫌な気配もなく頑張ってついてきてくれた」(『鯨とり2』の共同主演)俳優アン・ソンギとともに韓国映画社に演技者として業績を残した」と話した。
故人は釜山国際映画祭執行委員長を辞退後、しばらく公式席上から姿を消した。キム・ドンホ理事長の監督デビュー作である短編『JURY』(2013)以降作品活動が多くなかった。葬儀室を訪ねた映画関係者は故人がわずか40代に大衆から忘れられた時間を残念だと明らかにした。1月撮影を終えたヨン・サンホ監督の映画『JUNG_E/ジョンイ』で復帰するまで演技一線から退いたカンさんの最後の長編主演作はイム・グォンテク監督の『月の光をくみ上げる』(2010)だった。