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保守の元凶から希望へ…韓国大統領当選者「尹錫悦」とは(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.03.10 08:55
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韓国の第20代大統領に当選した尹錫悦(ユン・ソクヨル)氏は1960年、ソウル西大門区延禧洞(ソデムング・ヨニドン)で両親が共に教授である学者の家の長男として生まれた。父親で延世(ヨンセ)大学名誉教授の尹起重(ユン・ギジュン)氏は所得不平等を研究してきた著名な経済学者だ。梨花(イファ)女子大学教授だった母親は結婚後、学校を辞めた。

韓国経済学会会長を務めた尹教授は根っからの原則主義者として有名だった。尹教授が修士学位を受けて教授に任用された50~60年代は簡単な論文さえ出せば博士学位をすぐに取得することができる「論文博士」制度があった。だが、尹教授は知人たちの勧誘にも「そのような形で学位を受けることに何の意味があるのか」と言って拒否した。

 
このような父親の教えは尹錫悦氏にも受け継がれた。尹氏は大学生時代、友達と他人の畑に入って悪ふざけで豆を取って食べたことがあった。これを知った尹教授は「農夫が汗水流して作った農作物を面白半分で盗むものではない」と言って、庭にあったホースで尹氏を鞭打ったという。

◆酒と友達が好きな考試の神仙(仙人)

尹氏は実用的な学問を勉強するのがよいという父親の勧めで1979年ソウル大法大に進学した。尹氏が入学した年は混乱の時期だった。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が逝去し、全斗煥(チョン・ドゥファン)を中心に軍部クーデターが起きた。1980年に法大の先輩が大学祭で模擬裁判を企画した。尹氏はここで裁判長を担当し、全斗煥に無期懲役を宣告した。このことが問題になり、尹氏は3カ月間、江原道(カンウォンド)の親戚の家に身を隠さなければならなかった。

この時でさえ尹氏の夢は検事ではなく法大の教授だった。司法試験を受けたことも教授になるための夢の一部だった。実務経験のない人間が教授になるのは学生に対する礼儀でないと考えたからだという。兵役は両目の視力差が大きい「不同視」で免除となった。

尹氏は面倒見がよく酒の席が好きで、おせっかいなため司法試験2次では何度も滑った。周辺の人々によると、尹氏は友達の祖父母が亡くなると棺担を買って出て式に最後まで参加したという。新林洞(シルリムドン)の考試村の「生ける伝説」と呼ばれ、彼についたニックネームが「新林洞神仙」だった。

尹氏は司法試験9浪の末に1991年に合格した。司法研修院23期の同期には朴範界(パク・ポムゲ)法務部長官、趙允旋(チョ・ユンソン)文化体育観光部元長官、康容碩(カン・ヨンソク)弁護士らがいる。

◆権力捜査にも怯まない「一本気」検事

尹氏が最初のサラリーマン検察生活を始めたのは34歳の時だった。尹氏の「一本気」な気質が初めて芽を表わしたのは1999年だった。尹氏は金大中(キム・デジュン)政府の警察実力者であるパク・ヒウォン警察庁情報局長を贈収賄容疑で拘束した。パク局長は湖南(ホナム)出身で、すべての警察情報を握る中心人物だった。その後、尹氏は検察内部でも「普通じゃない」という評価を受けると同時に「昇進は水泡に帰した一本気な人」という皮肉も受けた。

尹氏は2002年、しばらく検察を離れて1年間法務法人「太平洋」で弁護士生活をした。イ・ミョンジェ元検察総長から「年も年だし、そろそろ結婚するべきでは」と薦められたことも弁護士生活を決心した理由の一つだったという。だが、尹氏は弁護士になっても検事体質を捨て切れず、同僚を慌てさせた。依頼人に「そんなことしてはいけません」と叱り飛ばすときもあったという。

検察に復帰した尹氏は2003年から権力中心部を打撃する大型捜査を担当し、その能力を発揮し始めた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の不法大統領選挙資金捜査を担当し、側近の安熙正(アン・ヒジョン)元忠南知事(事件当時は盧武鉉候補の選対委政務チーム長)と姜錦遠(カン・クンウォン)昌信(チャンシン)繊維会長を拘束起訴した。盧武鉉元大統領の娘ジョンヨンさんを外国為替管理法違反容疑で不拘束起訴した。

2006年現代自動車秘密資金捜査担当時には鄭夢九(チョン・モング)会長を拘束起訴し、2011年には釜山(プサン)貯蓄銀行事態捜査を担当して李明博(イ・ミョンバク)大統領の兄である李相得(イ・サンドゥク)元議員を政治資金法違反容疑で拘束起訴した。

2012年には知り合いの僧侶の紹介で52歳という年齢で結婚し、白秋期に入った未婚の検事を「検察総長〔検察総角(チョンガー)隊長〕」と意地悪くもじったニックネームもここでようやく外すことができた。12歳年下の妻キム・ゴンヒさんは尹氏について「夫は偽りがなく純粋な人。持っているお金もなく、私でなければ結婚ができなさそうだった」と話した。結婚当時、尹氏の通帳には2000万ウォン(現レートで約189万円)ほどしかなかったという。

尹氏の運命を完全に翻した事件は2013年に起きた。尹氏は朴槿恵(パク・クネ)政府初年度に国家情報院が大統領選挙に介入した、いわゆる「国家情報院コメント事件」の捜査チーム長を担当した。尹氏は本来のスタイルに沿って、元世勲(ウォン・セフン)当時国家情報院長に剣を抜き、検察首脳部をはじめ黄教安(ファン・ギョアン)当時法務部長官と摩擦を引き起こし、結局業務から排除された。

尹氏は2日後の国政監査場で「ソウル中央地検のチョ・ヨンゴン地検長が『野党を助けてどうする、野党がこれを政治的にどれくらい利用をすると思っているのか』と話した」とし、政権と検察上部からの外圧があったと暴露した。「人には忠誠を尽くしていないので、このようなことを申し上げた」という有名な言葉を残したのもこの場だった。

保守の元凶から希望へ…韓国大統領当選者「尹錫悦」とは(2)

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