【中央時評】ウクライナの悲劇と韓半島
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.03.02 11:51
1994年、筆者はモスクワからクリミア半島の首都シンフェロポリに向かう列車に乗った。一国による韓半島(朝鮮半島)軍事占領に反対するという米ソの了解があったところ、そのために南北分断の原因になったと知られるヤルタに行くためだった。しかし旅行は非常に騒がしくなった。筆者が乗った寝台列車の同乗者のロシア人、ウクライナ人、ウクライナ国籍のロシア人がクリミア半島の所有権をめぐり論争をしたからだ。さらに隣の車両の乗客までが合流し、筆者も引き込まれた。あなたは客観的な立場なので誰の話が正しいか判断してほしいということだった。やむ得ず25時間、徹夜しながらクリミア半島、さらにはウクライナの地政学的複雑性を強制的に学ばせられた。
ヤルタの住民の生活は厳しかった。当時、ウクライナの1人あたりの国民所得は1000ドルで、ソ連末期より40%も減少し、ロシアの半分にもならなかった。筆者が泊まった民宿をはじめ、ヤルタの住民の家庭には水が一日に1時間しか供給されなかった。韓国式の料理だとして辛く和えたニンジンを売っていた市場の女性は月10ドルで家族が生活すると話しながら涙を拭った。ウクライナ国籍のロシア人乗客がなぜ「クリミア半島をロシア所有に戻すべきだ」と声を高めたのか、その理由が見えた。