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【コラム】中国は中国を失わなければならない

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.02.09 11:11
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中国の真の大国への道はまだまだ遠い。4日に開幕した北京冬季オリンピック(五輪)がその明らかな証拠だ。不公正判定や開幕式の韓服論争のような一握りのファクトのせいだけではない。中国が韓国を見る本心は、実際のところ新しいものではない。中国吉林省の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の生家には「中国朝鮮族愛国詩人」という石碑が10年以上設置されているほか、2016年高高度ミサイル防衛(THAAD)体系問題当時には韓国企業が現地の政府機関はもちろん住民からもテロを受けた。2017年には文在寅(ムン・ジェイン)大統領の訪中を取材していた韓国人カメラマン1人を中国政府警護員15人が暴行して眼球出血する重傷を負った事件まで発生した。

とどめを刺したのは2017年習近平主席の発言だ。「韓国は中国の一部だった」と、他でもない米中首脳会談の中で話した。それでも文大統領は訪中当時、北京大学の演説で中国を「高い峰」「大国」、韓国は「小さな国」と称した。国対国で見ると、黄熙(ファン・ヒ)文化体育観光部長官が今回中国に抗議をまともにできなかったことは驚くようなことではない。来月新たに発足する政府は韓中関係を礎石から築き直さなくてはならない。

 
私たちが今すべきことはいくつかの事件にいきり立つことではない。今回の北京五輪を通じて、中国は韓中関係を離れて国際社会全体に「国の品格」という価値はどういうものかを改めて考えさせた。習主席は2012年、中国が世界の中心的な役割を果たしていた過去の光栄を21世紀に復活させるとして「中国の夢」を旗印に掲げた。しかし世界の祝典である五輪を自らの手で中国体育祭に引き下げた中国政府だ。いわゆる中国の夢はまだ迷夢であることを雄弁に語る証拠にすぎない。

「徳で人を服従させる人には皆が喜んで服従する。力で人を服従させるのは心ではなく、力が足りないから服従をするふりをしているだけだ」。中国の聖賢、孟子の言葉だ。2022年の中国には経済力や人口などの国力、すなわち力はあるが徳はない。中国チームとして出場したフィギュアスケート選手に転倒したという理由でヤジを飛ばすことがまさに徳があるようには見えないところだ。中国のもう一人の聖賢、荘子は「吾喪我(吾れ我れを喪れたり)」、すなわち「自分を失ってこそ自分を見つけた」と言った。力だけを前面に出した中国を忘れて徳を積む中国として新たに出ないなら、中国を本当の意味で大国として扱うことはない。もちろん中国が態度を突然変えて真の大国として「吾喪我」する可能性は低そうだ。そのためなおのこと痛々しい。中国も、韓国も。

チョン・スジン/トゥデイ・ピープルチーム長

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