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【グローバルアイ】映画『ドライブ・マイ・カー』が伝える言葉

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.12.28 10:32
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クリスマスには映画『ドライブ・マイ・カー』を見た。最近、世界的に注目されている濱口竜介監督が村上春樹の小説集『女のいない男たち』に入っている短編小説を映画化した作品だ。日本では今年の夏に公開されて来年のアカデミー賞国際映画賞の予備候補に入ったことが伝えられて再上映が始まった。新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)が安定し、どこへ行っても混雑する年末の東京、映画館も満席だった。179分の映画を見て映画館から出てくると、前を歩いていた観客が隣の友達にささやく。「でもさ、韓国がなぜあんなにたくさん出てくるのかな。ちょっと変」

まだ映画を見なかった人にはネタバレになるかもしれない。主人公は演劇俳優であり演出家の家福(西島秀俊)だ。妻の浮気を目撃した衝撃から立ち直る前に妻が突然亡くなる。怒りと傷を心に秘めながら生きる人生だが、その2年後、家福は広島演劇祭でアントン・チェーホフの作品『ワーニャ叔父さん』の演出者として参加することになり、ここで運転手みさき(三浦透)と出会う。

過去にとらわれた2人が会って互いを変化させるという基本的な枠は小説と同じだ。だが、映画には原作にはない演劇『ワーニャ叔父さん』の練習シーンが長々と登場する。この演劇には日本と韓国・台湾・フィリピンなどさまざまな国籍の俳優が参加して各自の言葉で演技をする。広島に腰を落ち着けた韓国人夫婦の話もかなりの比重で登場する。さらに映画の最後は韓国のある高速道路を走るみさきの姿だ。映画を見た日本人の疑問(不満?)はここから出てきたにちがいない。--これは日本映画なのに、なぜ見るのも嫌な韓国人がいっぱい出てくるのか。

それはどのような感じなのか、分かるような気がする。数年前でさえ、韓国と日本の芸術家が一緒の舞台に立って、映画を撮って交流する姿はとても自然だった。だが、両国国民が互いを徐々に嫌い、コロナ禍まで襲って、芸術分野でも何か一緒にやろうというのがやりにくくなった状況。私も映画を見ながらこう考えた。韓国語と日本語で同時に進む演劇のようなものをまた見ることができる日が来るのだろうか。

監督の答えはおそらく希望的だ。言葉が通じない俳優が出会って初めてすること、それは各自の言葉で台本を繰り返して読んで、また読んで、互いの声を聞くこと。そのように相手の言葉に耳を傾けていれば、理解の瞬間がやってきて、それは私たちを変化させる。断絶した個々人が暗鬱の中にさ迷っているようなこの季節、このうえない慰めをくれる映画に出会った。韓日関係の未来にまで考えが広がっていったのは明らかに職業病ではあるが。

イ・ヨンヒ/東京特派員

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