【コラム】文在寅政権の小さなセウォル号
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.11.25 16:02
15日、仁川南洞区のマンションの事件現場から「公権力が逃げた」という声は残念という感情をはるかに超えている。自ら武装解除した警察の現住所を見るようで悲しい。権力機関権限分散を主張したチョ・グク(元法務長官)発の検察改革で規模が巨大化して動きが鈍くなると思っていたが、今度は船が逆に進んだ姿だ。マンションの騒音トラブルが招いた突然の流血事態に気が動転し、警察がマンション3階の犯行現場を抜け出して1階に降りていったという。いくら新米の試補巡査とはいえ想像しがたいことだが、さらにぞっとするのは釈明だ。「(警察)学校で学んだ通り、生命に直結する問題なので119救助要請が先だと考えた」。
もちろん生命が危険な被害者の救助を要請することは重要だ。しかし加害者を迅速に制圧して追加の攻撃を防ぐのが先だ。警察なら平常時の訓練で当然そのような能力を備えておくべきだった。まさか警察学校で、流血する被害者を置き去りにして安全地帯にこっそりと避難しろと教えるだろうか。私は警察が現場を離れたその瞬間、公権力が「空権力」に転落したと考える。国民の従僕としての職業精神、犠牲精神、使命感は弊履のごとく捨てられたのだ。もし被害女性が生命まで危険だったなら、巡査は未必の故意で取り調べを受けるかもしれない事案だ。ある警察行政学科教授の指摘だ。