【コラム】アヘン戦争を見守った日本「中国は全身が病気の患者」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.11.19 15:03
◆「中国の代わりに東洋の盟主なった」歓呼
壬辰倭乱直後から19世紀後半まで続いた徳川時代には中国を尊崇して憧れる認識と同時に中国を相対化したり劣等だと考えたりして日本を賛美する認識が同時に現れる。藤原惺窩(1561~1619)らの儒学者が前者を代表するなら、本居宣長(1730~1801)や平田篤胤(1776~1843)らの国学者は後者を代表する。特に平田は「天皇がいる皇国日本こそが、太初以来、最も優れた国として世界に君臨する」と強調した。
1840年に発生したアヘン戦争で清国が英国に屈服したことは日本人の中国認識の変化に決定的な影響を及ぼした。当時、清を相変らず大国と考えていた知識人はこの戦争を契機に清を「柔弱な国」であり「全身が病気にかかってもう治る見込みがない患者」とみなすようになった。また、清を制圧した英国など西欧列強の魔の手が日本に伸びてくることに備えなければならないという危機意識も高まった。一時、清を討とうと主張した佐藤信淵(1769~1850)はアヘン戦争以降、「清の皇帝を説得して英国に復しゅうできる力をつけておくことが日本の安全のために重要だ」と強調した。一種の日中連帯論だった。