オバマ氏に会った日本原爆被害者の記憶「閃光とキノコ雲」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.11.09 09:30
広島工業専門学校(現・広島大学工学部)に通学中だった20歳の坪井直(すなお)さんはその朝、御幸橋を渡り学校に向かっていた。一瞬、目の前にものすごい光が閃くと、突然の衝撃で約10メートル飛ばされ、意識を失った。目が覚めた時、目の前には光は消え、黒い帳が広がっていた。坪井さんは後日「私はキノコ雲の下にいた」と語った。1945年8月6日、米国が広島に世界初の核兵器「リトルボーイ(Little Boy)」を投下したその日だ。坪井さんは原子爆弾が爆発した「爆心地」から約1.2キロ離れた場所にいた。
◆生き地獄、核戦争の「生き証人」
坪井さんは過去のインタビューで「気がついたら全身にひどい火傷を負って、耳はちぎれていた」と当時を振り返った。「周辺には数えきれないほど多くの死体が燃えていた。1人の少女は、右目の目玉が顎のところまで飛び出しぶら下がっていたし、別の女性は体から飛び出た内臓を押さえていた。ある老人の肺は胸にくっついているのがやっとだった。数十年経っても坪井さんの脳裏に鮮やかに残っていた記憶だ。