【盧泰愚元大統領死去】体の弱い少年からソウル五輪開催まで(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.10.26 17:56
◇6月抗争と直接選挙制改憲
任期末まで不安な「ナンバー2」として過ごした盧元大統領は1987年3月に全斗煥元大統領の後継者に事実上指名された。「大統領選挙は現行憲法(間接選挙)のままでやるほかない」と宣言する1カ月ほど前だった。民正党の大統領候補としては6月2日に公式に推薦された。1週間後の10日に開かれた大統領候補指名全党大会は「6・10抗争」の余波で催涙弾の煙の中で行われた。盧元大統領は「その日、現行の憲法ではこの難局を克服できないと考えた」と述懐した。
1週間の長考の末に盧元大統領は17日に朴哲彦(パク・チョルオン)安全企画部長特別補佐官を家に呼び、「直接選挙制にするしかない。準備をしてほしい」と指示した。6月抗争が絶頂期へ向かった時期だった。元大統領と野党総裁に相次いで会った全元大統領も「直接選挙制しかないのではないか」と白旗を揚げた。回顧録によると初めに「難しくないか」と反問した盧元大統領は続けて「すべて(私に)任せて関与しないでほしい」と答えたという。その後に誕生したのが大統領直接選挙制を骨子とした「6・29宣言」だった。盧元大統領は「李丙ギ(イ・ビョンギ)補佐役に『私の人生最高の絶頂がきょうこの瞬間だと思う』と話した」と述懐した。