【コラム】強大国に囲まれたアフガン、分裂で国民の苦痛続く(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.10.13 13:54
◆アフガンで米国の罠にかかったソ連
米国はソ連を戦争の死地に直接追い込むよりは戦争勃発の可能性を高めようと努力した。ソ連軍が国境を越えた日、ブレジンスキーはカーター大統領に「今やわれわれがソ連にベトナム戦争をプレゼントする機会を得ました」と書いた。それから10年間、ブレジンスキーが話した通りソ連は体制と帝国崩壊を呼び込んだアフガニスタン戦争に気力を使わなければならなかった。
ソ連は86年、カールマルの代わりに同じパルチャム派のナジーブッラーを権力の座に座らせて政局を収拾しようとしたが効果がなかった。結局ナジーブッラーの軍撤退引き止め要請にもかかわらず、89年2月アフガニスタンから完全に撤退した。ソ連が退いた後、ムジャーヒディーンが単一の隊列を成し遂げていたなら、アフガニスタンは今とは違ってタリバンが登場することもなかったかもしれない。しかしムジャーヒディーンはイスラムの名でソ連に反対するという枠組みで共感していただけの烏合の衆だった。戦士は宗教的にはシーア・スンニ・過激派・中道派などに分かれ、民族的にも分かれていて結集点を見出すのは難しかった。さまざまな色彩のムジャーヒディーンは結局虹を作ることはできず、各自が望むものを得るために互いに戦った。「私は兄弟に対抗し、私と兄弟は従兄弟に対抗し、私と兄弟と従兄弟は世の中に対抗する」という部族主義が強力なアフガニスタンで国民統合は容易ではない。タリバンが成功できた理由の一つはパシュトゥーン族が中心を占めたタリバンがアフガニスタンで多数を占めるパシュトゥーン族の慣習とイスラムを巧妙に結合したためだ。