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【コラム】強大国に囲まれたアフガン、分裂で国民の苦痛続く(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.10.13 13:53
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米軍が撤退してタリバンが20年ぶりにアフガニスタンを再び掌握した。タリバンと反タリバン抵抗勢力の武力衝突、タリバンとタジキスタン間の緊張、タリバンとイスラム国(IS)の勢力争い、周辺列強の動き、国際社会の否定的反応など解決しなければならない課題が山積しているが、1979年12月ソ連の侵攻で始まった42年戦争の惨禍という歴史の暗い一章を不安ながらも一応は閉じた。

今日のアフガニスタンの姿は1907年英国とロシアが作った。アフガニスタンと中央アジアをめぐり両国が起こしたグレートゲームの結果だ。両国は直接衝突を避けようとアフガニスタンを緩衝地帯にした。中国が神経を尖らせているワハーン回廊も英国領インドとロシア領タジキスタンが互いに直接対峙するのを避けようとアフガニスタンに付けたものだ。英国と3度の戦争をしたアフガニスタンは1921年に英国から独立した。

周辺強大国に囲まれた緩衝地帯という点で韓半島(朝鮮半島)とアフガニスタンは地政学的に似ている。ところがアフガニスタンは韓半島の3倍以上の大きさがある。海抜5000~7000メートルに達するヒンズークシ山脈のせいで国土の75%が山岳地帯で、海抜2000メートルを越えるところが50%に達する険しい地形の国だ。海がない内陸国家なので韓半島のように海洋勢力と大陸勢力がぶつかることはないが、中国・パキスタン・イラン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタンなど6カ国と国境を接している。

多民族国家で、国民統合をまともに実現できない点もわれわれとは違う。2019年世界銀行統計によると、総人口は約3800万人で、合計14の民族が暮らしている。パシュトゥーン族(42%)が最も多く、次いでタジク族(27%)、ハザラ族(9%)、ウズベク族(9%)などとなっている。言語は合計10余りが使用されているが、公式言語はダリ(Dari)とパシュトゥー(Pashto)だ。ダリ語は現代ペルシャ語と無理なく通じる言語だが、永らく文化語として使われてきた。パシュトゥーン族の言語であるパシュトゥー語はペルシャ語系統だが、ダリ語やペルシャ語とは通じない。

◆強大国が設定した緩衝地帯

アフガニスタンが過去半世紀にわたって流血の歴史を書き続けた理由は、地政学とあわせて統合を成し遂げられないまま民族・宗教・思想路線を巡って内部争いを行ったところにある。強大国が設定した緩衝地帯で独善的権力を享受しようとした指導層のせいで、そうでなくても国民統合できなかった虚弱な国家がいともあっさりと崩壊した。

1973年無血クーデターで従兄であり王だったザーヒル・シャーを追い出して王政を廃止した後、共和政大統領に就任した親ソ連志向のムハンマド・ダーウードはNATO(北大西洋条約機構)と柔軟な関係を結んだ。ソ連が不満をむき出しにすると内政に干渉するなと反論して西欧・イラン・サウジアラビアと友好関係を拡張すると言って強硬に対抗した。これに対して78年4月、アフガニスタンの共産主義者はクーデターを起こしてダーウードを殺害して権力を握った。1747年からアフガニスタンの政治エリートとして支配してきたドゥッラーニー(Durrani)パシュトゥーン族の牙城が崩れた。いわゆる「サウル(Saur)革命」で42年戦争の惨禍の序幕が上がった。

クーデター以前から長くアフガニスタン人民民主党はパルチャム(Parcham)派とハルク(Khalq)派に分かれて対立していた。パルチャムは旗、ハルクは人民という意味で、2派とも共産党系列の新聞の名称だ。非パシュトゥーン族中心に構成されたパルチャム派は漸進的な変化を、パシュトゥーン族中心のハルク派はより急進的な改革を主張した。ソ連の努力で77年が2派は手を握り、クーデターによって執権に成功した。しかし政権を取ったハルク派はパルチャム派を排斥した。ハルク派政権も内紛から抜け出すことができなかった。急進マルクス主義をパシュトゥーン族より優位に置いたハルク派はパシュトゥーン族の支持基盤を失った。

79年9月、指導者タラキー(Taraki)を、ナンバー2でありライバルであるアミーン(Amin)が殺害して権力を握った。これに驚いたソ連はその年12月24日に軍を投じてアミーン政権を倒してパルチャム派の指導者カールマル(Karmal)を権力の座に座らせた。当時パルチャム派はアミーンの独走を防ぐことをソ連に持続的に要請した。侵略の名分は78年ソ連がタラキーのアフガニスタンと結んだ友好条約を守ることだった。生かしておく理由がなかったアミーンは結局12月27日に命を失った。

クーデターで執権した共産主義政権は初めから国民の心をつかむことはできなかった。離れた民心は反対勢力になってソ連侵攻以前から武器を持って無神論者政府に挑戦し始めた。ムジャーヒディーン抗争の始まりだった。米国はソ連侵攻6カ月前から彼らを助け始めた。当時ホワイトハウス大統領補佐官(国家安全保障担当)だったブレジンスキーは79年7月3日にカーター大統領が反乱軍支援命令書に署名したと明らかにした。当時ソ連はアフガニスタンで米国が秘密裏に行う作戦に正面対抗するといったが、誰もソ連の言葉を信じなかった。ソ連の言葉は事実だった。ソ連は米国が仕掛けた罠にかかったのだ。 【コラム】強大国に囲まれたアフガン、分裂で国民の苦痛続く(2)

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    2021.10.13 13:53
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    イスラム武装組織タリバンが政権を再掌握した今年8月16日、首都カブール空港からアフガニスタンを脱出しようとする人々が航空機に乗ろうと搭乗ブリッジにぶらさがり混乱を来している。[写真 ツイッター キャプチャー]
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