旧三菱社宅をすべて保存? 「凶物」だといっていた住民はなぜ意見を変えたのか
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.10.06 08:52
今月午後、仁川市富平区富平2洞(インチョン・プピョング・プピョンイドン)行政福祉センター。建物の後方に歩を進めると数珠つなぎになっている古い家数十軒余りが目に飛び込んできた。その相当数は外壁の塗装が剥げ、屋根の瓦は割れていた。ごみの山と雑草で遮られた路地の向こう側には頑丈に鍵がかけられた旧式トイレがある。近隣に住むキム・ヒョンフェさん(59)は「過去に徴用労働者が使ったところ」としながら「以前は鉄のヘルメットが出てきたこともある」と話した。
「撤去予定」と真っ赤な文字で壁にスプレー書きされたここは旧三菱社宅、いわゆる「チュル社宅」だ。1938年に弘中商工が労働者宿舎として作り、4年後に三菱製鋼が買い取った。家が軒を連ねていて列(韓国語でチュル)をつくっている様子からチュル社宅と呼ばれた。朝鮮人勤労者1000人余りがここで生活し、光復後には一般人が住んでいた。一時は16棟がひしめくように建っていたが、一軒ずつ撤去されて現在は6棟だけがかろうじて残る。1棟は家10余軒からなっている。