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【コラム】月で広がる米中宇宙覇権戦争(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.10.05 11:31
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筆者の本棚にはクレジットカード2枚分のサイズで印刷した月面模型がある。その狭い側面には「フォン・カルマン・クレーター」、別の側面には「嫦娥4号着陸地」と刻まれている。フォン・カルマン・クレーターはソウルから忠清北道堤川(チュンチョンブクド・チェチョン)の距離に当たる直径180キロメートル、深さ13キロメートルの巨大地形だ。白亜紀末、地球に直径10キロメートルの天体が衝突してそれだけの大きさのクレーターができたため月にもそれくらいの何かぶつかったという話だ。この地域は幅2500キロメートル(ソウル~マニラ間の距離)の月の南極「エイトケン盆地」の一部だ。この3D模型をくれた中国の科学者は嫦娥4号のデータをダウンロードして分析した結果で論文を書いた。2018年夏に武漢で会った中国の科学者は嫦娥に続き、天問1号の火星探査を準備していた。

月は地球30個を1列に並べたのと同じ距離にある。そのため月に住む家族と通話するには往復2.6秒の時差を我慢しなければならない。月の表面積はオーストラリア大陸の2倍、重力は地球の6分の1にすぎない。地球で60キログラムの人は月では10キログラムになる。だから月ではさらに遠く、さらに高く跳ぶことができる。1日は29.5日で、半月は昼間、半月は夜だ。月面は真空に近いが、ナトリウムやカリウムに、太陽から飛んでくるヘリウムやネオンなどの元素もある。だが月の大気を全部集めて重さを測ったとしても10トンに満たない。地球の大気は海のように熱を抱えては吐き出すが、月ではそうしたことが起きない。そのため月の赤道地域は夜には氷点下173度、昼は水が沸騰する温度以上の117度だ。

 
アポロ時代以降、月に初めて挑戦した国は日本だ。日本は1990年に探査船「ひてん」を送って米国とソ連の後を追った。1994年に米国の弾道ミサイル防衛局(現ミサイル防衛局MDA)はNASAと探査船「クレメンタイン」を打ち上げた。長期飛行に使われる宇宙船部品とセンサーをテストし、月という天体を科学的に把握するためだ。2000年代に入り再び月探査を始動したのは日本だ。日本は2007年にSUV車ほどの大きさの「かぐや」を打ち上げる。月の女神という名前の「かぐや」は1年8カ月間の科学探査に出て2年後に月の南半球に突進して最後を迎える。

これに先立ち1971年、ホワイトハウスの安全保障担当補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは北京に飛び、毛沢東の目の前に衛星写真を差し出す。ウスリー川周辺の中ソ国境紛争地域である珍宝島を撮ったものだった。米中の国交が正常化すれば中国が望む衛星写真を提供するという提案だった。当時ソ連と関係が悪化していた毛沢東はすぐに米中国交正常化に同意する。彼は有人宇宙計画着手を指示し、ついに2003年に中国初の宇宙飛行士を輩出する。2007年には最初の月探査船嫦娥1号を打ち上げて世界を驚かせた。中国が地球の重力圏を抜け出したことを告げる信号弾だった。嫦娥1号は3次元の月地図と鉱物地図を完成する一方、その後の軟着陸準備に向け月面に衝突し資料を収集した。36年前にキッシンジャーが差し出したウスリー川周辺の衛星写真に対する痛恨の覚醒は無駄にならなかった。彼らはいまや成功街道を走る。中国国家航天局(CNSA)は2010年に嫦娥2号を打ち上げて嫦娥3号の着陸地を探索し、2013年に3号を着陸させ探査車「玉兎」兎が月面を走り回る場面を電撃公開した。そして5年後に人類が到達したことのない月の南極に五星紅旗を掲げた。嫦娥4号だ。そんな中国は2年もたたずに嫦娥5号を打ち上げた。2020年12月、月に着陸した5号は深さ1メートルの穴を掘り、土1.7キログラムを載せて内モンゴルに無事到着した。クリスマスを1週間余り控えた西側は衝撃に包まれた。CNSAはそのひとつかみの土を毛沢東の故郷である湖南省で大切にまつった。

【コラム】月で広がる米中宇宙覇権戦争(2)

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    2021.10.05 11:31
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    欧州宇宙局(ESA)が描いた未来の月基地の想像図。居住用モジュールと探査車用ガレージなどで構成されている。月の土壌を利用した3Dプリント技術で建築する方式が有力だ。[写真 ESA]
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