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【コラム】米中「巨大なチェス盤」に敏感な新たな火種タリバン(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.08.18 12:08
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イスラム過激武装組織タリバンが予想外の速さで首都カブールを陥落した。4月に米バイデン政権がアフガニスタン駐留米軍撤退計画を発表してからわずか4カ月ほどだ。15日に首都カブール在留米国人の待避がまだ終わっていない状況で、親米性向のアフガニスタンのガニ大統領は「光の速度で」国外に脱出し、タリバンは大統領府を接収した。

腐敗し無能なアフガン政府軍に透徹した職業精神がないということはわかっていたが、一国の政府軍が武装ゲリラの前にこれほどむなしく降参するとは思わなかった。1975年に北ベトナム軍の戦車が南ベトナムの首都サイゴンの大統領府に進撃した際に腐敗し無能だった親米南ベトナム軍が何の抵抗もなく投降するとはだれも予測できなかった。1979年にイランでイスラム革命が起き、親米権威主義のパーレビ王政を倒した当時、米中央情報局(CIA)は革命勃発4日前まで感知できなかった。

今回も米国大使館のスタッフがカブールからあわてて撤退する姿はベトナム戦争当時の米国の恥辱的なサイゴンからのヘリコプター脱出を連想させた。そのため米国ではタリバンの進撃速度とアフガニスタン政府の崩壊時期をバイデン政権がまともに予測できなかったという非難がわき上がっている。

いずれにせよ2001年9月11日の米同時多発テロ後に米国がアフガニスタン戦争とともに始めたアフガニスタン再建政策は米国の屈辱的失敗に終わった。20年間に1兆ドル以上を使い、2300人を超える米軍兵士が死亡したが、アフガニスタンはついにタリバンの手に再び移った。9・11テロ直後に共和党ブッシュ政権はアフガニスタンに隠れていたアルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの身柄引き渡しをタリバン政権に要求したが拒絶されると、「テロとの戦争」を始め速戦即決でタリバン政権を追放した。

ブッシュ政権は小規模特殊部隊と先端軍事技術で武装した空軍を動員して犠牲を最小化する「科学戦」を展開した。問題は米国がタリバン政権追放後の体系的な戦後復興計画を深く考慮しておらず、北大西洋条約機構(NATO)主導の国際安保支援軍(ISAF)が成り行きで共同責任を一手に引き受けた点だ。再建政策の基本目標は国の機能を担う能力を育て、安定的で民主的な体制を固めるよう助けることだったが、主体がはっきりしなくなったのだ。

さらに2005年からタリバン反乱軍勢力は旧式小銃と手製爆弾でゲリラ戦を展開したがこれに対抗する米軍歩兵は大きく不足し、険しい山岳地形で先端軍事科学は無用の物だった。当時米国は2003年にイラク戦争まで始めた状況でアフガニスタンに対する増派が難しかった。2006年以降外国軍を対象にしたタリバンの自爆テロが増えると米軍と国際安保支援軍は新たなアフガニスタン政府に治安権を渡すのに忙しかった。

2004年に初めての民主選挙で発足した当時のカルザイ政権はカブール以外では影響力をほとんど行使できず、米国の操り人形と見なされた。米国もタリバン撃退に向け脆弱なカルザイ政権の代わりにアフガニスタンの要衝地を掌握した軍閥に依存し、彼らの資金源である麻薬密売には目をつぶった。結局タリバン反乱軍も難なく麻薬取引をし、タリバン兵の月給がアフガニスタン政府軍の月給より4倍も多いという状況となった。給与差だけでも士気が落ちた正規軍は張り子の虎に転落した。当時カルザイ政権のエリートは国際援助金をめぐり不正腐敗カルテルを形成していたことで悪名高かった。国力建設と腐敗清算という再建目標は当初は難しそうに見えた。

2008年以降にタリバンが勢力を拡張しアフガニスタン全体が深刻な混乱に陥ると、2009年に民主党オバマ政権は増派を決断した。2011年に米特殊部隊がパキスタンでビンラディン射殺に成功してから2014年に米国と国際安保支援軍は公式なアフガニスタン任務終了を宣言した。アフガニスタンでイスラム原理主義テロ組織ISISの影響力が大きくなると2015年には軍撤退計画をしばし保留した。

その後共和党トランプ政権が入ると中東政策の混乱が続いた。トランプ政権は「中東から手を引く」と宣言し、イラン核合意の独断的破棄、偏向的な親イスラエルの歩み、NATOへの防衛分担金増額要求、友邦クルドに対する裏切りと急な米軍撤退発表を強行した。昨年にはタリバンと和平合意を結び、結局2021年5月に軍撤退を約束した。 【コラム】米中「巨大なチェス盤」に敏感な新たな火種タリバン(2)

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