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【中央時評】なぜ偉大な男たちは大統領に選択されないのか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.07.27 13:19
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タイトルを見て不快に思った方たちには申し訳ない。なぜ偉大な人たちでなく男たちなのか、政治的に適切でない質問であることは私も知っている。実際、私の質問ではなく英国の貴族ジェームズ・ブライスが近代の米国を旅行した後に述べた言葉だ。ブライスは、国政を巧みに運営する大統領の資質より、すぐに選挙で勝利しやすい候補を好む政治過程という理由などでその答えを探した。

今日の我々はこうした古い質問をしない。世宗大王(セジョンデワン)や李舜臣(イ・スンシン)長官はもう光化門(クァンファムン)で目にするだけで、21世紀の英雄として再臨できない時代だ。しかし我々は偉大という負担になる言葉を少し現代的に広く定義すればどうか。すなわち、各自の領域で道理に基づいて行動し、開かれた心を育み、より人間らしい未来へ隙間を開いていく人たちのことだ。例えば、私にとって偉大な政治家はバーツラフ・ハベル元チェコ大統領だ。偉大な企業家は稲盛和夫・京セラ創業者だ。偉大な非政府組織(NGO)リーダーはマーティン・ルーサー・キング民権運動家だ。偉大な大学リーダーはニュースクール大学院設立者のジョン・デューイ思想家だ。彼らはすべて生態宇宙論と人間の尊厳の価値に基づき不断に内面の空間と外部の世界を成熟させていった「転換的リーダー」という共通点を持つ。

 
我々がこのように偉大を再定義するなら、大韓民国でブライスが投げかけた質問に対する答えは何か。いや、その前になぜ偉大な者が今日ではあまり浮き彫りにならないのかという質問が先だ。「パーミッション・トゥ・ダンス」で私たちの魂を高揚させるBTSは例外だが。ネロナムブル(私がすればロマンス、他人がすれば不倫というダブルスタンダード)をあおる構造と倫理コード欠乏のためか。エリートが生き残りにくい民主主義とSNSの過剰のためか。逆にさらに深刻になった民主主義欠乏で無能なエリートが主導したからか。最初から深い思惟を排除する能力主義試験制度が引き起こした弊害のためか。すべて一理ある。しかし、根底には心が狭くなったことがある。抽象的な道徳訓戒のように聞こえるかもしれない。最新の科学理論に基づいてリーダーシップを研究したマサチューセッツ工科大学(MIT)のオットー・シャーマー教授は開かれた心と心の精進が結局は本質だと指摘する。シャーマー教授は反対に閉ざされた一つの真理とアイデンティティに固執する心の習俗は破壊と自己破壊を繰り返す枠の中に我々を閉じ込めると警告する。

開かれた心と意志の欠乏が制度の欠陥以前に最も残念に近づく領域が政治だ。先日、私は次期大統領候補の出馬宣言を目にして当惑した。2017年大統領選挙の資料を間違って検索したのかと思うほどだったからだ。その間、気候危機と不平等が極度に悪化し、米中「新冷戦」のニューノーマルが登場したが、候補らの宣言文は2017年に出馬した人たちのものと見ても違和感はない。もちろん、その後の細部公約にすべて含まれているだろうが、出馬宣言文自体が古いのにその後のロードマップを信じることができるだろうか。

人類と韓半島(朝鮮半島)の存立自体が疑問視される大統領選挙史上最も転換的な時期に、最も旧態依然の大統領選挙が進行されるこの奇異はいったい何だろうか。残念ながら今回の大統領選挙では難しいが、大統領選挙後に旧進歩、旧保守、未来転換派の天下三分の計のために今からその種でも作らなければいけない。そしてすべての候補と政治家に少なくとも4つの基準に応じるように圧力を加える必要がある。まず、未来の隙間を創出する具体的な案だ。すなわち陣営が持つ従来の教科書を越えて気候危機と不平等、米中「新冷戦」などのイシューで未来に進む可能性をどう実質的に作り出すのか。不都合な真実を表す「正直な絶望」および実質的転換ロードマップがない公約は詐欺に近い。2つ目、ネロナムブルを越えて各領域でどのように強固に倫理的な制度と慣習を構築するのか。さらにこの倫理が最も苦痛を受ける弱者(非人間の主体を含む)を中心に置けるのか。3つ目、相手でなく自分が先にどんな既得権を放棄し、さらに大胆な冒険を敢行できるのか。4つ目、転換勢力のコア筋肉であるMZ世代に言葉でなくどんな実質的な主導権を与えて幅広い世代と階層が共に連帯するのか。

もちろん未来転換派の勢力化が進歩と保守の対決をもうやめようという観念的な主張を意味するのではない。私は依然として自ら金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、さらに金槿泰(キム・グンテ)と白基玩(ベク・ギワン)の価値を継続することを望む進歩主義者だ。しかし陣営に閉じこもった進歩ではなく未来に開かれた進歩になろうという考えだ。もしかすると一部の人たちが深刻に汚染させてしまった進歩という言葉自体ともう決別すべきなのかもしれない。むしろ未来転換派という共通のプラットホームの上に立とうとする人たちなら、その上で多様な勢力と生産的な競争と協力を展開したい。耐えがたい軽さの時代に我々はまた偉大な着陸を夢見なければならない。なぜならブライスの時代に偉大は貴族の男たちの虚勢、傲慢かもしれないが、今日の「長期非常時代」の偉大は安全と生命の有用なマニュアルであるからだ。

アン・ビョンジン/慶煕大未来文明院教授

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