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「韓日W杯英雄」柳想鉄氏、すい臓がんで死去

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.06.08 07:52
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2002サッカー韓日ワールドカップ(W杯)4強神話の主役、柳想鉄(ユ・サンチョル)前仁川(インチョン)ユナイテッド監督が7日午後7時ごろ、ソウル峨山(アサン)病院ですい臓がんのため死去した。49歳だった。

柳氏は2019年10月、すい臓がんのステージ4という診断を受けた。最下位(12位)でリーグ降格危機に直面した仁川ユナイテッドの「火消し役」として赴任してから数カ月も経っていない時期だった。すい臓がんはステージ4診断後の平均寿命が4-8カ月で、5年の生存率は約1%にすぎない。柳氏はがん闘病の事実を知らせ、シーズンを完走した。チームは劇的にKリーグ1に残留した。柳氏は昨年12月、健康の問題で辞意を表明した。契約期間は1年残っていた。新型コロナの余波の中でも昨年秋まで13回の抗がん治療を受けた。

 
1年8カ月間にわたり治療に専念した柳氏は放送に出演するなど好転した姿を見せた。健康を取り戻そうという意志が強かった。柳氏は昨年12月、中央日報のインタビューで「必ずグラウンドに戻ってくる」と約束した。しかし最近は病状が悪化し、7日に息を引き取った。

柳氏は韓国サッカー史上最も優れたマルチプレーヤーと評価される。GKを除いた全ポジションでプレーしたほど戦術の理解度が高い頭脳的な選手だった。ニックネームは「劉備( ユビ)」だ。

柳氏は韓国と日本のプロサッカーを経験した。Kリーグでは蔚山(ウルサン)現代(1994-98年、2002-03年、2005-06年)だけでプレーした。142試合に出場し、37得点をマークした。1996年と2005年にはチームのリーグ優勝に貢献した。1998年には得点王になった。

日本Jリーグでも活躍した。横浜マリノス(1999-00年)と柏レイソル(2001-02年)のユニホームを着て活躍した。韓国選手が少なかった時代、Jリーグでスタープレーヤーとして認められた。このため柳氏を記憶している日本ファンも多い。昨年2月に全州(チョンジュ)W杯競技場で行われたアジアチャンピオンズリーグの全北現代-横浜マリノス戦には「頑張れ!柳想鉄」と書かれた横断幕が登場した。柳氏の現役時代を記憶する横浜の遠征ファンが準備した横断幕だった。

韓国代表チームではさらに印象的なプレーを見せた。特に2002韓日W杯を思い出すファンが多い。当時、韓国代表の初戦だったポーランド戦で柳氏は強力な右足シュートでゴールを決め、韓国のW杯初勝利に貢献した。4強の奇跡は柳氏の足から始まった。洪明甫(ホン・ミョンボ)現蔚山監督と共に韓日W杯のベストイレブンに選ばれた。柳氏の通算Aマッチ記録は122試合18得点。2004アテネ五輪ではオーバーエージで後輩とプレーした。

柳氏はグラウンドに復帰するという約束は守れなかったが、最後の瞬間までサッカーを愛した「グラウンドの英雄」として記憶されるだろう。柳氏の葬儀はソウル峨山(アサン)病院で営まれる。

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    「韓日W杯英雄」柳想鉄氏、すい臓がんで死去

    2021.06.08 07:52
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    昨年12月14日午後、ソウル蚕室(チャムシル)総合運動場主競技場で中央日報のインタビューに応じた柳想鉄(ユ・サンチョル)前仁川ユナイテッド監督。 中央フォト
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