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「ワクチンがほしいと30回電話」ファイザーを感銘させたイスラエル首相の執拗さ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.05.07 12:15
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「『BB(イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の愛称)』がワクチンを早く確保して新型肺炎も克服したのではないか」

「BBが腐敗したということを(市民が)分かっている。もう変わる時だ」

 
「イスラエルの最長寿首相」ベンヤミン・ネタニヤフ首相に向かった現地の分かれた評価だ。コロナ禍を早く克服した主役という評価の傍ら、長期執権に対する炎症も表出されている。

イスラエルは新型肺炎ワクチンの接種模範国に選ばれる。大人の接種率が90%を超え、従来の日常をほぼ取り戻した姿だ。先月18日、野外でマスクを脱いだことに続き、23日からは外国人団体観光客も受け入れる。

そのおかげで経済も回復している。新型肺炎から直接影響を受けた昨年、実質成長率は「マイナス5%」となった。2017~2019年毎年3.5%前後の成長率を見せたイスラエルだった。初めての後退だった。だが、今年成長率は再び2.5%反騰する見込みだ。

軍事作戦を展開するように行ったイスラエルのワクチン導入の中心にはネタニアフ首相がいた。モサドなど国家諜報機関を総動員したのはもちろん、彼自身がワクチンメーカーを相手に直接説得に出た。

これはファイザーのアルバート・ブーラCEO(最高経営責任者)が公開したエピソードからも分かる。ネタニアフ首相はファイザー製ワクチンを早く確保するためにブーラ氏に30回も電話をかけた。早朝も例外でなかった。

ブーラ氏は3月イスラエルのメディア「チャンネル12」ニュースとのインタビューでこのような事実を明らかにして「私は『首相、今午前3時です』と話した」と伝えた。その一方で、ブーラ氏は「当時(ワクチン供給に関して)多数の国々の指導者と協議中だったが、率直にネタニアフ首相の執拗さに感銘を受けた(impressed)」と話した。

ワクチンの導入はもちろん、流通、接種過程にも具体的に関与した。昨年12月9日、イスラエルのベン・グリオン国際空港に到着したファイザー製ワクチンを直接迎えに行き、同月19日接種を促すために一番最初にワクチンを打った。公開的にブーラ氏に感謝の意を表現し「私の新しい友人」と呼んだりもした。

このような成果は彼と対称点に立っていた人々の心も動いた。1月、ニューヨークタイムズ(NYT)は昨年彼の防疫失敗を批判した批評家さえ政治傾向を問わずワクチン接種に向けた彼の努力を称賛していると報じた。イスラエルの進歩系日刊紙「ハアレツ」も「ネタニアフの貢献を無視することはできない」として彼の努力を評価するコラムを載せた。

エルサレムのベン・イェフダー街のある商人は「新型肺炎ワクチンで暮らしを取り戻している」として「BBが他の国よりワクチンを早く確保して可能になった。これは否定できない事実」と強調した。

ネタニアフ首相が特に保守傾向の国民の支持を得る背景には彼の家族史もある。ネタニアフ首相の兄は「エンテベ空港奇襲作戦」中に戦死した特攻隊隊長、ヨナタン・ネタニヤフ氏だ。1976年ウガンダ・エンテベ空港でエールフランス旅客機がパレスチナ武装隊院によって拉致された事件が発生した。当時、イスラエル特攻隊が投入し、乗客を無事に全員救助したが、作戦過程でヨナタン・ネタニヤフ氏は戦死した。当時、イスラエルでは追悼の雰囲気が熱かったという。エンテベ作戦の代わりに「ヨナタン作戦」とも呼ばれるほどだ。

「ワクチンがほしいと30回電話」ファイザーを感銘させたイスラエル首相の執拗さ(2)

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    「ワクチンがほしいと30回電話」ファイザーを感銘させたイスラエル首相の執拗さ(1)

    2021.05.07 12:15
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    先月、飛行機から見下ろしたイスラエル・テルアビブ市内の姿。イム・ヒョンドン記者
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