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【コラム】韓国家庭の中心は女性たちだった

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.05.04 11:21
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韓国という国と韓国文化は表面に見えるものと表面的には現れないが実際に存在するものが相当異なる。歴史的に見るとき、私の先祖であるスコットランドのケルト族は実に野蛮的だった。反面、韓国では両班(ヤンバン)が筆文字を書き、風流を楽しみ、多様な文化を営んだ。そのためか、韓国の文化に対して新たな事実の発見をたびたびすることになる。私たちの先祖が韓国の地を踏んですでに120年を越えたが、韓国について今も新しいことを知るようになることは本当に興味深い。

1991年に米国レジデント研修を終えて韓国に戻りそれほど経っていない時だった。私の診療室に韓国宣教師という若い白人女性が訪ねてきた。その時期には韓国に入国する宣教師はほとんど韓国を離れて、逆に韓国から海外に多くのキリスト教宣教師を派遣している時だった。その部分が少しひっかかって彼女と対話を続けた。「聖書にはヨナが3日間、大きな魚の腹の中にいたというが、魚の腹の中には酸素がないのに3日間生存するのは科学的に説明することができない。奇跡として受け入れざるをえない」と話したところ、彼女は聖書は一部が小説なので信じることができないと話した。それならマリアが処女で子どもを産んだとされているが、それは信じられるかと聞くと、彼女はやはり有り得ないことだと言った。最後にイエスが十字架の上で亡くなり、3日後に墓から復活したと書かかれていることについてはどう考えるのか。彼女は話にもならない不可能なことで、弟子があまりにもイエスを渇望したので幻想の中でイエスを見たのだと言った。実際の復活ではないと断言した。やはりわれわれキリスト教で教える内容とは余りにも違った。聖書の内容を否定していた。

 
私は聖書の内容を信じていないこの若い白人女性が一体どのような布教をしているのか気になった。訝しがる私に、女性は「私はこの国の女性を解放させるために来た」と話した。私は彼女に絶対的に見えるものだけが全てではなく、韓国女性について少し語ろうと話し、私の経験談を聞かせた。

私は全羅道順天(チョルラド・スンチョン)で幼少時期を過ごした。農作業が盛んだったその時期には、どの家も子どもをたくさん産んだ。私の母も12人を産むことを目標にしたが6人しか産めなかった。私がその6人兄弟の末っ子だ。子どものころ、友人の家に遊びに行った時、その家の最も重要な女性が長男の嫁ということを非常に早い時期に気づくことができた。友人の長男が結婚する年齢を迎えると、その家族の大きな悩みはどのような女性を嫁として迎えるのかということだった。難しい過程をなんとか経て長男の嫁を迎えることになり、結婚式を挙げる日を迎えればいくら貧しい家でも豚と牛を用意する。その日は腹いっぱい食べたことを思い出す。しかし結婚式が終われば、長男の嫁は聖書に登場するイエスのように生きていく。農作業はだめになってもその嫁が間違って嫁いできたせい、一家の老人が病気を患ってもその嫁が間違って嫁いできたせいだったためだ。あらゆる良くないことの理由はその嫁のせいにされた。それだけだろうか。姑より遅く寝て早く起きなければならないのは当たり前で、一日中姑にいじめられてあらゆる家事を任される。ところがその嫁が息子を一人二人産んで数年経つと家族に変化が起きる。精神的に夫からは遠ざかり、人生のすべての比重が息子に集中していく。そして姑が年を取るにつれて長男の嫁が徐々にその場に代わって家全体を管理して一家の大小のことを采配していくようになる姿を目にすることができた。その嫁がその家の中心的な役割を果たすようになるのだ。

夫の弟が失敗を犯したり礼を失した行動を取ったりするときは、義理の弟に直接言うことはないが、弟の嫁に忠告して家の秩序を正した。自身を宣教師だと話すその若い女性に私は「弟の嫁が長男の嫁を何と呼ぶと思うか。『ヒョンニム』と呼ぶ」と教えた。女性が女性を呼ぶ時に使う女性型の呼称ではなく、男性が年上男性を指す時に使う男性型であるヒョンニム(兄さん)という呼称を使うということを強調して説明した。反面、男性は60歳の還暦以降は象徴的な家族の代表で、村の葬式や結婚式に出席する役割がすべての相当哀れな境遇に落ちてしまう。

儒教文化の中で多くの女性たちが差別を受けてきたのは事実だ。しかし、韓国家庭の奥底を覗いてみるとまた別の一面を目にすることができる。韓国社会の家庭の中心はまさに女性だ。最後に私は彼女に「もし、あなた。韓国女性はすでに解放されていると、逆にあなたがここで学んで米国に戻って教えてあげてほしい」と話した。

イン・ヨハン/延世(ヨンセ)大学医大教授・セブランス病院国際診療センター所長

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