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【時論】人道主義活動家が北朝鮮を離れた理由

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.04.15 16:51
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北朝鮮に残っていた国連世界食糧計画(WFP)事務所長と職員、そしてアイルランドに本部を置く国際人道主義団体コンサーン・ワールドワイド事務所長が3月18日に人道主義活動家としては最後に北朝鮮から出国した。もう北朝鮮には人道的支援をしてきた外国人はいない。待ってましたとばかりに、北朝鮮にはこれ以上希望がなく今後さらに孤立するだろうという話が出ている。

だがコンサーンは北朝鮮を離れなかった。1998年から北朝鮮で活動してきたコンサーンは国連の対北朝鮮制裁状況でも事業を行ってきた。国連と米国の制裁が頂点に達した時もコンサーンは現地住民たちの飲料水衛生装備が必須であることを説得し制裁例外承認を受けた。2019年にはトラクターも搬入した。

 
コンサーンが北朝鮮で継続して活動できた理由は、支援対象者と事業目標が明確で、モニタリングを通じた事業評価が可能だったためだ。国連の対北朝鮮制裁は社会的弱者を対象にした人道主義事業に影響を及ぼさないことが基本趣旨であり、われわれはこれを堅持してきた。

制裁のためでないならなぜ北朝鮮から出なければならなかったか。これまで国連の対北朝鮮制裁とともに米国の独自制裁により海外送金が閉ざされていた。一部で国連の制裁よりも米国の制裁の方が強力だと話す理由がまさにここにある。これにより人道主義事業費の執行とスタッフの給与支払いに大きな困難があった。だが結果的に北朝鮮に住む外国人が最もしんどかったのは国境封鎖だった。物理的な国境閉鎖でだれも北朝鮮に入国できなくなり、1度出国すれば再入国は認められなかった。自然に人員交替、休暇、海外出張が難しくなり、北朝鮮で買いにくい薬品と必需品がだんだんと底をついていった。

新型コロナを遮断しようと考えた北朝鮮の国境封鎖は外国人が耐えきれずに出て行くことになった理由になった。北朝鮮が外国人を強制的に追放したのではなく、常駐していた各国と団体の現地事務所が独自に判断した移動だった。

それでも人道的支援は進めている。コンサーンは北朝鮮から撤収しなかった。われわれは今年の事業を実行中であり、新しい事業も準備している。これが可能な理由は、現地住民中心の「自助的アプローチ」を採択し、集落の共同体自らが自給と発展の主体になれるよう努力してきたためだ。

また熟練した現地スタッフと構築されたシステムのおかげで国境外から遠隔でも事業を継続できる。いま北朝鮮に食糧ほどに重要なものは医薬品だ。重症患者を入院させられる病棟と装備が不足しているのはもちろん、全人口の40%が栄養欠乏により免疫力が落ち、感染症に極めて脆弱だ。新型コロナ流行初期に中国と韓国の間にある北朝鮮が国境を閉鎖したのは別の見方をすれば保健システムが劣悪な国としては当然の措置だった。

供与国の人道的支援の意志は北朝鮮政権の対外的な態度により弱まることが多かった。対北朝鮮人道的支援の主軸だった欧州諸国さえ北朝鮮の閉鎖的政策と疎通を批判し始めた。そして今回の出国により対北朝鮮人道的支援の最後のひもまで落ちたという話をする。

だが2030年まで1人も疎外されないようにするという国際社会の約束、国連の持続可能発展目標(SDGs)で北朝鮮も例外ではない。これまでコンサーンが支援した人々は基礎サービスの死角地帯に置かれた社会的弱者と難民だった。そのうちの大部分が女性家長と子どもたちだ。われわれの活動はどのような状況でも彼らに向けられている。また、それがコンサーンと国連機関で構成された「北朝鮮人道主義チーム」が最後まで平壌(ピョンヤン)に残ることができる理由だ。長い呼吸のためにしばし息を吸い込んだだけで、われわれは北朝鮮を離れなかった。

イ・ジュンモ/国際人道主義団体コンサーン・ワールドワイド韓国代表

◇外部執筆者のコラムは中央日報の編集方針と異なる場合があります。

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