【コラム】韓国人「戦犯」最後の生存者李鶴来の生と死(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.04.13 18:08
李さんをはじめとする戦犯7人が法廷闘争に出たのは1991年だ。8年間続いた裁判で原告は1・2・3審いずれも敗訴した。「深刻で甚大な犠牲と被害」を負った事実は認められるが現行法上救済の方法がないという判断だった。「法がなければ法より上位概念である条理により補償すべき」という原告の主張は受け入れられなかった。だが得るものがないわけではなかった。2審法廷の東京高等裁判所は判決文で「問題の早期解決に向け適切な立法措置を講じることを期待する」と指摘し、最高裁判所の判決文にも「補償は立法の裁量」と明記された。裁判ではなく立法に基づく補償が望ましいという趣旨と理解された。
これに鼓舞された李さんは活動の中心を立法運動に移した。数えきれないほど議員会館を訪ねた末に野党の民主党を中心に2008年に1人当たり300万円の特別給付を支給する法案がまとめられ提出されたが会期内に処理されず廃案となった。2016年には自民党議員まで加勢して新たな法案が作られた。ここまで来ただけでも大きな成果と言えるが、法案上程と審議を経て通過するまでは依然としてハードルは高い。
この最後のハードルを越えられずに李鶴来さんは先月28日に96歳で生涯を終えた。4日後に国会で開かれる予定の「外国籍BC級戦犯者問題解決のための早期立法を願う集い」で映像演説をすることになっていた。この日の行事は自然に李鶴来追悼会になってしまった。日韓議員連盟幹事長である自民党の河村建夫議員は「このままで済ませてよい問題ではない。再度党内手続きを進めたい」として意志を見せた。