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ソウル市長当選者「朴元淳被害者、今日から仕事ができるようにサポートする」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.04.08 13:10
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韓国政治で保守没落の信号弾は2011年8月のソウル市無償給食住民投票だったといっても過言ではない。当時、呉世勲(オ・セフン)ソウル市長が強行した住民投票が失敗に終わると呉市長は辞任し、その後に続いた補欠選挙で朴元淳(パク・ウォンスン)体制に入り、その後10年間、ソウル市は進歩権力の牙城として位置づいた。

まさにその呉氏が市長職を辞して10年後の8日から、ソウル市庁に再び出勤することになった。偶然にも、今回も補欠選挙がソウル市権力を変えた。呉氏の劇的な復活までには長い暗黒期があった。保守陣営は呉氏を「性急に市長職を放り出し、党を危機に陥れた」と非難し、進歩陣営は「子どもたちから茶碗を奪おうとした市長」と罵倒した。呉氏のある側近は「過去10年間は呉氏にとって一日一日が苦痛と挫折の時間だった」と話した。

呉氏にもかつてうまく行っていた時期があった。呉氏は政界入門前、定評のある環境専門弁護士だった。1993年仁川(インチョン)の慶南(キョンナム)アパートの日照権訴訟代理人を担当し、当時慶南企業に対して13億ウォン(現レートで約1億2800万円)の賠償金を獲得し、世間の注目を集めた。このような認知度をもとに時事番組の司会を引き受けるなど放送経歴を積んだ。

呉氏を政界に導いたのはハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)総裁だった。呉氏は2000年の総選挙でソウル江南(カンナム)の公薦を受けて国会議員バッジをつけた。2004年3月には国会政治改革特別委員会幹事として「呉世勲法」と呼ばれる政治改革3法改正案の通過を主導して政界に足跡を残した。

2004年の総選挙には出馬しなかったが、2006年ソウル市長選挙にすい星のように現れて「開かれたウリ党(現・共に民主党)」の康錦実(カン・グムシル)候補を破り45歳の若さで市長に当選した。2010年には民主党の韓明淑(ハン・ミョンスク)候補を劇的に破り再選を果たした。

だが、2011年に巻き起こった「無償給食」イシューが呉氏を奈落の底に叩き落とした。周辺の引き止めにもかかわらず辞職を決行した後遺症はあまりにも大きすぎた。

その後何度も再起を狙ったがいつも苦杯をなめた。2016年4月の総選挙でソウル鍾路区(チョンノグ)から出馬したが、丁世均(チョン・セギュン)民主党候補に敗北し、2019年2月には自由韓国党代表選挙に挑戦したが黄教安(ファン・ギョアン)前首相に敗れた。

昨年4月の総選挙ではソウル広津(クァンジン)乙で高ミン廷(コ・ミンジョン)民主党候補と正面対立したが2.4%ポイントの差で惜敗した。政界一部では「呉世勲の政治的な賞味期限はもう終わったのではないのか」とささやく声も聞かれた。

呉氏は今回の補欠選挙でも、最初は足元がおぼつかなかった。国民の党の安哲秀(アン・チョルス)代表を狙って「安哲秀入党時不出馬」カードを取り出したが撤回した。だが、その後は順風に帆をかけたように底力を発揮した。党内選挙戦で羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)元議員を、野党圏単一化では安哲秀氏を相次いで破ると本選挙では民主党候補の朴映宣(パク・ヨンソン)氏を圧倒的な差でおさえた。

呉氏は当選後の所感で「朴元淳前市長からセクハラを受けた被害者が今日から気兼ねなく業務に復帰できるように気を配りたい。私と激しく競い合いはしたが、野党圏のために最善の努力を傾けてくれた安哲秀氏に心から感謝申し上げる」と述べた。

釜山(プサン)市長に当選した朴亨ジュン(パク・ヒョンジュン)氏は2004年総選挙でハンナラ党候補として釜山水営区(スヨング)から出馬して当選した後、17年ぶりに選出職公職者になった。

代表的な親李系に分類される朴氏は、もともと進歩指向の理論家だった。80年代後半に社会・政治分野の論客として名前が知られるようになり、91年東亜(トンア)大学教授に任用されて教壇に立った。

政界との間に縁ができたのは、90年代初め李在五(イ・ジェオ)・金文洙(キム・ムンス)・張ギピョらと共に進歩政党を標ぼうした「民衆の党」創党に参加してからだった。その後、金泳三(キム・ヨンサム)大統領の政策諮問企画委員として保守陣営に合流した。

2004年の第17代国会で国会議員になった朴氏はその後の二度の総選挙では苦杯をなめた。2008年無所属で出馬した親朴系の柳在仲(ユ・ジェジュン)候補に押されて落選し、2012年にはセヌリ党から公薦を受けることができず無所属から出馬して落選した。

朴氏は李明博(イ・ミョンバク)政府時期には青瓦台広報企画官、政務首席、大統領社会特別補佐官などを経て李系の核心として活動した。2014年から2年間、国会事務総長を務めて一息入れた朴氏は、2017年から政治・時事番組に出演して認知度を上げた。昨年4月の総選挙では革新統合推進委員長を引き受けて保守統合に出たが、未来統合党の総選挙惨敗で色あせた。

だが、今回の選挙で金栄春氏に対して圧勝を収めて釜山市長に当選し、政治人生第2幕を迎えることになった。朴候補は「今回の選挙で表出された民心に沿って、国政を大転換する契機にしたい」と話した。

高校と大学の同窓である呉氏と朴氏の縁も格別だ。呉氏が朴氏の1年後輩で、朴氏は78年高麗大学社会学科に入学し、呉氏は79年韓国外大法政大学に入学して翌年高麗大学法大に編入した。

朴氏は2006年呉氏にソウル市長に出馬するように働きかけた人物の1人だった。また、2011年呉氏がソウル市長職を辞退する時も呉氏を朴槿恵(パク・クネ)の対抗馬に育てようとする朴氏のシナリオという説が汝矣島(ヨイド)にもっともらしく出回っていたことがある。

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    ソウル市長当選者「朴元淳被害者、今日から仕事ができるようにサポートする」

    2021.04.08 13:10
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    ソウル市長候補の野党「国民の力」の呉世勲(オ・セフン)氏が、7日に実施された補欠選挙で与党「共に民主党」の朴映宣(パク・ヨンソン)氏をおさえて勝利した。呉氏が8日未明、当選が確実視される中、花束を手にしている。オ・ジョンテク記者
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