【コラム】「私は警告した」という卑怯さ=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.03.02 11:20
1997年11月に通貨危機が発生すると、だれかが責任を負わなければならなかった。経済官僚の相当数が辞めることになった。その渦中で責任を回避したケースもあった。韓国銀行が代表的だ。当時監査院は「韓国銀行が97年3~11月に23回も政府に深刻な外国為替事情を報告した」と明らかにした。韓国銀行は任務を全うしたのだろうか。韓国銀行は通貨政策だけでなく銀行とノンバンクを管理監督する役割を受け持つ。通貨危機が銀行・総合金融会社の経営不良から始まっただけ韓国銀行は責任当事者だった。報告したからと責任を免れるものではなかった。だが絶妙なフレームが組まれた。財政経済院は通貨危機の主犯に追いやられた。韓国銀行は通貨危機を数えきれないほど警告したが、財政経済院から無視された被害者と位置付けられた。いつの間にか同情と慰労が韓国銀行にあふれた。恐ろしい「フレームの力」だ。
97年、韓国銀行から検査権(銀行監督院)を切り離す金融改革が進められた。韓国銀行幹部は反対ロビーをするために国会と報道機関を尋ね歩くのに忙しかった。故チェ・ジョング議員の話だ。「ある日の夜、帰宅の途に韓国銀行幹部が助けてほしいと言いながら待っており、『国が不渡りになりそうなのにこんなことをしている時か』と嘆いたことがある」。韓国銀行職員は救済金融直前まで鉢巻きを巻いて座り込みを行った。そんな韓国銀行が「私は警告した」という一言で通貨危機の責任を免れた。公務員の中にも「私は警告した」「私は大統領に直接報告した」として責任を回避したケースは少なくなかった。金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は退任後のインタビューで、「私は経済の心配をしたが、経済官僚は別に問題ないと話した」と通貨危機の責任を官僚らに転嫁した。「私は警告した」は久しく悪い先例として残った。