【コラム】日清戦争で惨敗した中国 「海軍力増強」に総力戦(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.02.26 15:52
1886年8月9日、ロシア・ウラジオストク訪問を終えた清国の北洋艦隊所属の艦艇4隻が日本の長崎港に入港した。艦艇を修理するためだった。提督・丁汝昌が率いる艦隊には、清国が誇る大型巡洋艦「定遠」「鎮遠」も含まれていた。
ところが8月13日、長崎の街を見物していた清の水兵と日本の警察の間で衝突が起きた。日本側は酒に酔った清の水兵が暴力を振るったため逮捕したとし、清側はお互い話が通じず摩擦が生じたと記録した。15日にも清の水兵と日本の群衆、警察が衝突し、流血事態が発生した。日本人の中には武術家、浮浪者もいた。乱闘の末、清の水兵8人が死亡し、45人が負傷した。日本人も2人が死亡し、27人のけがをした。中国側は清の水兵が数的に劣勢だったうえ、非武装状態で日本人から刃物や棒などで攻撃され、被害がはるかに大きかったと分析した。