撤去前に舞い込んできた文化財庁公文書…仁川の旧三菱社宅「ジレンマ」=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.01.29 09:13
仁川市富平区富平洞(インチョンシ・プピョング・プピョンドン)。翌月竣工を控えた富平2洞行政福祉センターの近くには古い家屋数十軒余りがずらりと並んでいる。その相当数は外壁の塗装が剥げたり窓が割れたりしている。建物の破片と落葉が重なる路地の隅には鍵のかかったトイレがあった。強制労役の歴史を研究しているキム・ヒョンフェさん(59)はここを「過去、徴用労働者が使ったトイレ」と説明した。
一部撤去が進められているここは「三菱チュル社宅」だ。1938年弘中商工が労働者用宿舎として建て、1942年三菱製鋼が買収した。家が列(韓国語でチュル)を作るように建てられている様子から「チュル社宅」(以下、社宅)と呼ばれた。当時、朝鮮人勤労者1000人余りがこの社宅で生活していた。光復(解放)後には一般の人が住んだ。一時16棟あった社宅は1棟ずつ撤去され、現在は6棟だけしか残っていない。1棟は家10余軒で構成されている。