【時視各角】失明危機のNANTA企画者の「耐えて、また耐えて」=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.27 10:33
2年前のこの時期。明洞(ミョンドン)で彼に会った。ソン・スンファン。俳優と呼んでほしいと言うが、教授・演出家・文化CEO(最高経営責任者)としてのほうがよく呼ばれている名前だ。ソン氏は私を真っすぐ見つめることができなかった。横から見た。網膜の視細胞が中央から失われていくとこうなると話した。ソン氏は「視力障がい者がなぜ人を横から見るのか分かるようになった」と言った。彼は視力を失いつつあった。
その年3月ごろからだったという。彼が一世一代の仕事、冬季オリンピック(五輪)の開・閉会式の総監督を無事に終わらせた直後だった。最初は過労のせいだと思った。違っていた。休息を取ったものの効果はなかった。ソン氏は暗くなっていく世の中を少しでも何とかしようともがいた。世の中の名だたる医者のもとを一人残らず訪ね歩いたと話した。ソン氏が聞いた答えは「分からない」だった。理由も、治療法も分からない。一番苦しいのは「いつ完全に世の中が閉じられるのか、その日も分からない」という事実だった。彼は当時、代替医学に最後の希望を託していると話していた。事実は藁にもすがる気持ちだが「それすらしなければ方法がないのでやっている」とした。
ソン氏は誰もが知る有名人だ。だからこそ辛いと話した。誰か分からず、先に挨拶することができない。ソン氏は携帯電話の文字を大きくする方法や電子メールを音声で聞く方法を学んだとし、まるで子どものように面白がった。ケーブルテレビで映画を見たいが、最近は吹き替え映画があまりないとし、プロバイダに苦情を入れなければならないとも話した。暗くなるとさらに視界が狭くなるため、いつも携帯しているという懐中電灯がどれくらい明るいか照らしてみせてくれた。