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台湾版延坪島を包囲した中国の砂採取船団

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.25 12:08
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10月25日、中国南東部福建省の海岸から約16キロメートル離れた台湾管轄の南竿島の海岸。数十隻におよぶ中国の砂採取船の船団が集まった。台湾民進党の洪申翰立法委員は採取船団の動画をフェイスブックに上げ、「海の血を吸い込む姿」と表現した。台湾の最前方で韓国の延坪島(ヨンピョンド)と似た南竿島は「中華民国」福建省連江県に属する馬祖列島の島だ。台湾ではない。

香港時事誌「亜州週刊」は最近号で「両岸関係が悪化すると中国の民衆が当局の主旋律に合わせて軍事的脅威がない馬祖を困らせている」と報道した。

 
馬祖列島と福建省最大の都市厦門(アモイ)からわずか3.2キロメートルしか離れていない金門島の地位は微妙だ。国民党は金門と馬祖を通称する金馬を台湾防衛の砦であり逆攻勢の足がかりと考えた。台湾独立論者の観点は違う。1970年代から「金馬撤軍論」を掲げ、金馬を中国に返せば両岸が分けられ実質的な独立を成し遂げられると主張した。

70年前に国民党の蒋介石総統も金馬軍撤収を構想した。台湾出身の林孝庭米フーバー研究所教授が著書『意外な国』第7章で明らかにした事実だ。「1950年7月、蒋介石は金門と福建省沿海の他の島からの軍撤収を考慮した。台湾本土防衛に集中し、韓半島(朝鮮半島)に3万3000人の兵力を派遣するための措置だった…国民党が統制する島々は米第7艦隊の保護範囲を抜け出した。蒋介石の個人軍事顧問として台湾に滞在していたチャールズ・M・クック元第7艦隊司令官(提督)は台湾の韓国戦争(朝鮮戦争)参戦を支持した。代わりにクックは国民党軍の金門島撤収に強く反対した。金門島からの軍撤収は共産党に弱く見られ、台湾だけでなく自由陣営全体に心理的に悪影響を及ぼすだろうという予想からだ。蒋介石は結局譲歩した。「韓国戦争と両岸はつながっていた。いまも大きく変わらない」。

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