주요 기사 바로가기

【時論】善悪二分法に陥った国…政治は戦争でない=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.10.21 14:48
0
スポーツは一定の規則があり、審判の判定に従う。戦争はどうか。どんな戦争でも敵軍を殺し、手段と方法を問わず無条件に勝たなければいけない。規則が存在するスポーツは相手を競争者と呼び、規則がない戦争は敵と規定する。最近の韓国政治はギリシャのプラトン(BC427-BC347)時代に戻ったようだ。二分法的な事由で自分側は善良な存在のイデア(Idea)であり、相手側はイデアの影の影(複製の複製)のシミュラークル(Simulacra)と呼ばれる。

与党は陣営論理と選択的正義にとらわれ、自分たちは正しくて善良な存在であり、政権を批判する政治勢力は悪にして積弊勢力と見なす。今日の韓国の政党政治は十分に戦争レベルの悲しい現実を見せている。

スティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは共著『民主主義の死に方』で、米国の民主主義を支える2つの規範を相互的な寛容と理解、そして自制心と説明した。相互的な寛容と理解とは、政党が相手の政党をスポーツのように正当な競争者と認めることだ。自制は制度的な権利を行使する際に慎重な態度を失わないことをいう。党派争いが破滅の奈落に落ちないよう2つの規範が防いでいるということだ。韓国の政党政治にはそのような規範がない。それでも以前には最小限の廉恥もあり、政党間が争ってもそれなりに襟度があった。違法でなくても不道徳で国民の法感情と情緒に背く行動があれば未練なく退いた。ところが文在寅(ムン・ジェイン)政権の場合、口癖のように叫ぶ平等・公正・正義が虚しい響きなって久しい。廉恥の代わりに破廉恥、良心の代わりに非良心が占める世の中になった。「お前はほえろ。私はわが道を行く」という姿だ。

政権の二重性と「ネロナムブル」(自分がやればロマンスだが他人がやれば不倫)の事例があまりにも多い。「民主党だけ除いて」という新聞のコラムを書いた高麗大のイム・ミリ教授を民主党が検察に告発し、昨年大学キャンパスに入って大統領を批判する壁新聞を貼ったという理由で若者が罰金刑を言い渡された。大学側が「我々の意思に反して不法に侵入した事実はない。処罰を望まない」という意見を出したが起訴された。李在明(イ・ジェミョン)京畿道(キョンギド)知事は自分の政策に反対する意見を出した租税財政研究員を「清算すべき積弊」と言語テロを加えた。

与党議員は盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領と文在寅(ムン・ジェイン)大統領を太宗(テジョン)に例え、青瓦台(チョンワデ、大統領府)報道官は文大統領を世宗(セジョン)に例える龍飛御天歌を歌った。こうした状況で最高尊厳の「君主」に恥をかかせた教授のコラムと壁新聞を放っておけなかったのだろう。

このように与党は自分たちが批判を受ければ批判メッセージではなくメッセンジャーを攻撃する。すると熱狂的な支持者が信号を受けた猟犬のように食い下がってメッセンジャーを満身創痍にする。このようにみると、信念を持つ数人の与党議員も党を批判すれば背信者にされ、集中砲火を浴びて沈黙する。

英国の小説家であり民主的社会主義者のジョージ・オーウェル(1903-1950)は「社会主義は好むが、社会主義者は好まない」という意味ある言葉を残した。オーウェルのように与党で内部批判の声が出るのを期待するのは依然として難しいのだろうか。

政治でも何でも現象を直視して自らを省察するところから本当の発展が始まる。大統領が英国週刊誌『エコノミスト』が引用した世宗の言葉でもまともに読むことを勧めたい。

「寡人は高潔でもなく政治に優れているわけでもない。天の意に背く行動をすることもある。したがって官吏は寡人の欠点をしっかりと見つけて寡人がその叱責に応答するようにしなければいけない」。

パク・ギョンソ/文学評論家/翻訳家

◇外部執筆者のコラムは中央日報の編集方針と異なる場合があります。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP