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【コラム】韓国の松餅は餃子だろうか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.09.16 12:27
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秋夕(チュソク、中秋)が目前に近づいている。秋夕は韓国人固有の感謝祭だ。その年初めて収穫したコメで酒と餅を作って先祖に供え、隣人と分けて食べる。新米で作った松餅(ソンピョン)は秋夕の象徴だ。秋夕に松餅を食べた記録は19世紀初期に初めて登場する。丁學游(チョン・ハクユ)の『農家月令歌』(1816)に「新稲酒、新稲松餅、パクナムル、里芋汁を先祖の墓にお供えして隣と分けて食べよう」という一節が登場する。新稲松餅は秋夕の前に刈りいれする早生種の稲で作った松餅だ。朝鮮時代に松餅は春に食べ(『屠門大嚼』・1611年)、4月8日(旧暦(『澤堂集]』・1674年)、もしくは流頭日(『象村稿』・1630年)に楽しんだ食べ物だった。松餅に関する最も古い記録は金守温(キム・スオン、1409~1481)の詩に登場するが、津寛寺(チングァンサ)で夕方に豆腐焼きとともに食べた酒のつまみだった。

松餅がなぜ一年中食べる料理から秋夕の時食に位置付けが変わったのかは定かでない。19世紀以降漢江(ハンガン)南部で秋夕の食べ物として定着し、1970年代以降はコメの自給が進んで秋夕の代表的な食べ物になったという見解が支配的だ。

 
松餅はどのように作られたのだろうか。中国の影響があった。まず、穀物粉を木の葉で包んで煮る角黍、あるいはチュアク(もち米を練って油で焼いた餅)から始まったという見方がある。角黍は現在中国の粽子(ちまき)だ。粽子はもち米の練り粉の中にナツメ・肉・小豆などを入れてゆでる。昔はアワを中身にして包んで食べたので「黍」という文字が入り、もち米に変わることで粽子に名前が変わった。中国と日本がもち米で餅を作ることとは異なり、韓国は主にうるち米で餅を作る。

二番目に、満洲族の餃子である「チューボーボー(煮〇〇、〇は「食」偏に「孛」を合わせた繁体字の発音「ボー」)」の影響だ。朝鮮末期に松餅を表記する漢字表記は「松餅」とともに「松ボー」「葉ボー」「葉子ボー」「葉子ボーボー」が使われた。「ボーボー」は満洲族固有の言葉で粉食を総称するが、餃子を意味する場合もある。モンゴル族や女真族は餃子を扁食(ビェンシー)と呼んだ。今の延辺では松餅を扁食の中国発音である「ピェンセ」と呼ぶ。松餅は餃子と似た半月形だ。小麦で作った中国北方の餃子がうるち米の文化圏である韓国に渡って形は残り皮が変わったとみられる。

だが、松餅は確かに韓国人の創作物だ。朝鮮純祖(スンジョ)時代、中国燕京(現在の北京)に行ってきた記録『薊山紀程』(1803)に「高麗餅はすなわち松餅だ。高麗堡で売るものだが、わが国の餅をまねて作ったので高麗餅と呼ぶ」という一節が登場する。丙子の乱の時、清国に連れ去られた遊民が手放せなかった故郷・高麗の餅がまさに松餅だ。松餅はうるち米を食べて生きてきた韓国人の情緒が入った骨であり肉だ。

パク・ジョンべ/料理評論家

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