【コラム】巨大与党の独走…文大統領の「協治」は蜃気楼になる
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.07.31 13:36
文在寅(ムン・ジェイン)大統領の就任後の最初の日程を覚えているだろうか。当然、顕忠院参拝が最初だが、大統領の意志で最初に行ったところはソウル汝矣島(ヨイド)の自由韓国党(未来統合党の前身)本部だった。そこで当時の鄭宇沢(チョン・ウテク)院内代表に会い、「野党を国政パートナーと考える」と語った。「協治」が切実だった大統領の適切な発言であり、卓越した行動だった。当時の丁世均(チョン・セギュン)国会議長はこれを「サイダー(クールな)行動」と呼んだ。しかし任期初めに協治に向かった蜜月は政権発足37日目で水の泡になった。野党が反対した康京和(カン・ギョンファ)カードを強行しながらだ。文大統領は協治を望みながらも康京和外交部長官カードを手放さなかった。正面突破式の人事を選択し、文大統領の協治は序盤から揺れた。
任期2年目の2018年11月、文大統領は野党代表を青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)に呼んで与党・野党・青瓦台国政常設協議体を設けた。「我々の政治で最も足りないのは協治という話をよく」と述べながら取り出した会心の協治カードだった。それも1週間で消えた。今回も野党が人事問題でタックルをかけたが、文大統領がまた譲歩しなかった。野党が反対した金秀顕(キム・スヒョン)青瓦台政策室長と、聴聞報告書の採択が不発に終わった趙明来(チョ・ミョンレ)環境長官の人選を強行した。
文大統領の協治が失敗を繰り返すのは、譲歩のない人事の影響が大きかった。チョ・グク前法務部長官をはじめ23人にのぼる閣僚級が聴聞報告書の採択不発にもかかわらず任命状を受けた。すでに朴槿恵(パク・クネ)政権(10人)、李明博(イ・ミョンバク)政権(17人)当時よりも多い。とりわけ人事問題で固執が強かった。そうであるほど協治は遠のいた。報告書が採択されなかった兪銀恵(ユ・ウンヘ)教育副首相の任命を強行しながらは「聴聞会の時に苦しんだ人ほど仕事をうまくやる」と述べ、野党の怒りを招いた。