【中央時評】文大統領に足りないもの(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.07.21 12:03
2017年5月の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の就任演説はいま見ても名文だ。弾劾で混乱する国を立て直し、国民に奉仕するという思いが所々で感じられる。進歩・保守を問わず、大統領を目指す人ならば必ず参照すべきだろう。「一度も経験したことがない国をつくる」という部分が特に有名になった。保守側は、チョ・グク、尹美香(ユン・ミヒャン)事態を経験したことで「本当に一度も経験したことがない国になっている」と慨嘆している。しかし嘲弄ばかりすべきことではない。就任演説で国家と国民に向けて情熱を込めて十分に言及できる表現だと考える。
もう一つ有名な言葉が「機会は平等で、過程は公正で、結果は正義になるはず」だ。不平等と不公正、不義が相変わらずの世の中に生きる国民としては胸が熱くなるほど感動的だ。このほか「国民全員の大統領になる」「国を国らしくする」など大統領の初心がにじみ出るメッセージで埋まっている。その後、国政が初心とは違う方向に流れたことも少なくなかったが、これを責めたくはない。就任演説で述べたことが任期5年以内に完成することはほとんどない。いくら努力してもすぐには実現しない部分がある。したがって批判はしたくない。
気に掛かるのは就任演説の最後の部分だ。「過ちがあれば過ったと申し上げる。君臨せず、疎通する大統領になる」。これは「平等・公正・正義」のような国政目標ではない。目標を実現させるための実行案だ。大統領の意志さえあればすぐに実践できる。文大統領は気さくで庶民的な「マッコリ」のイメージだ。朴槿恵(パク・クネ)前大統領の宮廷王女の姿にあきれた国民は大きな期待を抱いた。ところが文大統領はそのイメージを生かせずにいる。就任演説とは違い、過ちを認めようとしない。意思疎通もあまりしないようだ。大統領だけでなく、この政権の人たちは謝罪と意思疎通の代わりに前政権のせい、野党のせい、財閥のせい、メディアのせいにする。今年はコロナのせいを追加した。