【コラム】国民の時代、市民の時代=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.07.20 12:04
日帝末期、日本文学雑誌『文芸』に朝鮮文学特集が掲載された。日本語を最もよく駆使する3人の作家が選ばれた。李孝石(イ・ヒョソク)、兪鎮午(ユ・ジンオ)、金史良(キム・サリャン)。植民地文学を内地の普遍性として融和するという意図だった。その後、3人の道は分かれた。李孝石は1942年の満州紀行直後、「皇民」が猛威を振るった時期に土俗を抱えて死去した。兪鎮午は制憲憲法を基づき韓国「国民」の枠を固めた。金史良は解放直後、太行山(テハンサン)朝鮮義勇隊と共に帰国し、故郷の平壌(ピョンヤン)で北朝鮮「人民」隊列に合流した。日帝の皇民が消滅した空間で国民と人民が対立したのが韓国戦争(朝鮮戦争)だった。植民地の遺産であり悲劇だった。
故白善ヨプ(ペク・ソンヨプ)は皇民から国民に移籍した。白善ヨプが出た満州軍官学校が大陸侵略を大東亜共栄で美化した天皇主義の偽装術であることを痛感した後だった。さらに白善ヨプは金日成(キム・イルソン)とソ連を見抜いた反共主義者だった。韓国戦争が発生した。白善ヨプは水原(スウォン)で壊滅した第1師団を収拾し、大邱(テグ)防御に入った。東は盈徳(ヨンドク)、南は馬山(マサン)まで180キロの洛東江(ナクトンガン)防御ラインで55日間の戦闘があった。2つの戦線が最も激しかった。倭館(ウェグァン)多富洞(タブドン)戦闘と霊山(ヨンサン)オボン里戦闘だ。