【時視各角】「狂った時代」を耐える方法
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.07.02 14:50
詰め込み式教育のおかげで、モンテーニュというヨーロッパ人が『随想録(エセー)』という本を出し、その中に収められた内容が随筆の嚆矢になったという断片的な常識はあったが、それが彼とその本に関して知っていることのすべてだった。そうこうしているうちに先月29日、ニューヨーク・タイムズのあるコラム(『Montaigne fled the plague,and found himself』)によって、彼と彼の本を死んだ知識の墓から取り出すことになった。米国ヒューストン大学Robert Zaretsky教授は、モンテーニュが黒死病(ペスト)の拡大を受け、自身が務めていたボルドー市長職を任期が終わらないうちに家族と一緒に田舎落ちして身を守ったと書いた。その逃避は、一方ではドロ沼の宗教戦争に巻き込まれないためだと説明した。
モンテーニュは1585年から約2年間、さまざまな場所を転々としながら避難生活を送った。その時に随想録3冊目を書き、前に出版した1冊目と2冊目を修正した。当時、黒死病によってボルドーで住民3分の1に該当する1万4000人余りが死んだ。折しもフランスは新教(カルヴァン派)と旧教(カトリック)の内戦が吹き荒れていた時期だった。信念の戦争であると同時に政治的ヘゲモニー争奪戦だった。モンテーニュは旧教徒だったが、新旧教の衝突で仲裁役をしていたと記録されている。