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慰安婦被害者の遺族「尹美香、弔意金の帳簿すら見せてくれなかった」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.06.25 08:31
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「これまでは尹美香(ユン・ミヒャン)が母の葬儀を行うと言って金を受け取り、うまく采配して使ってくれていると思っていました。でも今考えると母の死体を売って商売をしていたということじゃないですか」

2006年に亡くなった慰安婦被害者の故朴頭理(パク・ドゥリ)さんの娘Aさん(60)は22日、「尹美香は弔意金や後援金の帳簿さえ見せてくれず、むしろ私のお金を取っていった」と話し、悔しさを吐露した。朴さんが亡くなった当時、韓国挺身隊問題対策協議会〔挺対協、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)の前身〕事務局長だった尹美香・共に民主党議員が葬儀費用を募金で集めておきながら、遺族には募金額やその支出内訳などを一切知らせなかったという主張だった。

 
次はAさんとの一問一答。

--葬儀費用はどうなっていたのか。

「母が亡くなった日、尹美香が別の挺対協職員1人と一緒にやって来た。私から先に『費用がいくらかかるのか。500万ウォン(現レートで約44万円)ほどか』と聞いた。足りないといけないと思い、全財産ともいえる積立金500万ウォンを解約しておいた。すると尹美香は『それくらいなら足りると思う。残ったら返す』と言って、私の印鑑を渡し、挺対協職員にお金を引き下ろしに行かせた」

--当時、訃告には挺対協名義の銀行口座で後援金を集めたとされたいたが。

「500万ウォンを受け取りなから、尹美香はそのようなことには一切触れなかった」

--正確にはいくらが集まっていたか知らないのか。

「事実、私は泣いて疲れてを繰り返し、後援金を集めたかどうか、そういうことはよく知らなかった。最後の日、火葬場で尹美香が『朴頭理さんの最後のお金だ』と言って200万ウォンをくれたのがすべて。当時、家に国会議員も弔問に来て、弔花もたくさん届いた。香典もかなり集まったはずだが、その帳簿すら見せてくれなかった」

(※朴さんは映画『Herstory』で扱った1992年関釜裁判(下関裁判)に原告として参加した主人公だ。上級審で覆ったものの、日本の裁判所が慰安婦に対する日本政府の賠償責任を認めた唯一の裁判だ。朴さんは生前にナヌムの家に暮らしながら毎週水曜集会に参加していた。朴さんの葬儀は挺対協が主管し、市民社会葬として執り行われ、国会議員や各団体関係者など葬儀委員だけで100人近くになった)

--朴さんの遺骨はナヌムの家に安置されたが、訃告記事には埋葬地が望郷の丘になっていた。

「尹美香が私に聞かずにそのように出したのだ。(※挺対協関連の活動をした被害者は、通常、望郷の丘に安置された。)私には火葬場では『望郷の丘に行くのか』というので『母が生涯暮らしたナヌムの家に行く』と答えたところ、尹美香がとても不愉快そうな表情をして席を外した。ナヌムの家に母の遺骨箱を安置するところまで見ることもなかった。母の死体まで自分たちの影響力を大きくするために利用しようとし、母の葬儀を行うからと後援金を集めて。事実上、死体を売って商売をしていたのではないのか。尹美香がこのような問題で、家でナヌムの家の人と言い争っていたという話も後で伝え聞いた」

--ナヌムの家で暮らしていたのに、なぜ挺対協が葬儀を主管したか。

「亡くなる1週間前ぐらいか、母が意思疎通も思うようにできない中で、『尹美香のところに行け』と言った。私はそれが尹美香に葬儀を任せろという意味に考えて、連絡をした。今はとても悔やまれる」

--今になって問題を提起する理由は。

「李容洙(イ・ヨンス)さんの記者会見を見て、尹美香がおばあさんたちを利用していたのは本当だったのだと思い、手がぶるぶる震えた。今からでも葬儀のときどうしていたのか帳簿くらいは見なければならない。母に魂があれば、全て見ていてほしいと思う。母が生きていたなら、尹美香は母に髪の毛をつかまれていただろう」

正義連関係者はこれに対して「確認して遺族にお話する」と話した。尹議員室側には何度も連絡を試みたが、結局つながらなかった。

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