【コラム】大韓民国は戦争英雄をどう送るのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.06.19 15:28
「他のところでは護国英霊という言葉を使いますが、ここでは救国英霊と表現します」。
慶尚北道漆谷郡(チルゴクグン)の多富洞(タブドン)戦跡記念館で会ったシン・スルウ館長が無名勇士の遺骨が埋められた墓を指しながらこう語った。1950年の多富洞戦闘で勝利して韓国戦争(朝鮮戦争)の流れを変えたことで、地図上から永遠に消えるところだった大韓民国を救ったという意味だと、シン館長は強調した。8月1日から9月24日まで55日間続いた激しい戦闘で多富洞が占領されていれば、洛東江(ナクトンガン)防御ラインが壊滅し、釜山(プサン)まで北朝鮮軍の支配下に入るのは時間の問題だった。