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【時視各角】聖母像と少女像

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.06.18 13:51
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聖母マリアの死を想像させたものは、ルーヴルに飾られているカラヴァッジォ(1571?~1610)の作品だった。ルーヴル初代館長の名を冠したドゥノン館に展示された、観覧客に囲まれたモナリザからそれほど遠くないところにあるカラヴァッジォの『聖母の死(La Mort de la Vierge)』には全く違うマリアがいた。天使とともに昇天する姿でもなく、死んだ息子のキリストを抱いて悲しみを救いに昇華させた神聖な女性像(ミケランジェロの『ピエタ』)でもなかった。

絵の中のマリアはみすぼらしい服をまとって横たわっている。平凡な女性の顔だ。布でちゃんと覆われているわけでもなく、ふくよかな胴体のラインがそのまま表われていて、死体が載せられているテーブルの外に足がはみ出すほど場所もみすぼらしい。ガイドが説明してくれなかったら、欧州のある村婦を描いた民話だと勘違いして素通りするところだった。

その後に読んだものによると、この絵はある修道会の注文によって製作され、ローマのサンタ・マリア・デラ・スカーラ聖堂に飾られていた作品だ。絵はすぐに撤去された。期待していた神々しさを感じることができなかった修道会責任者がすぐに外すよう指示したという。その後、迂余曲折を経て英国に渡ったこの絵はルイ14世の手を経てルーヴルに所蔵されることになった。

絵の中の顔と体のモデルは川に身を投げて命を絶った妊娠した売春婦であり、カラヴァッジォが死体安置所まで訪ねて行って死体をスケッチしたという逸話がある。そもそもなぜ修道会が注文した聖画をこのようにみすぼらしく描いたのだろうか。「神聖さ、すなわち一筋の恩寵の光は大きく華やかな聖堂や枢機卿のような実力者の書斎に差し込むのではなく、ローマの夜道にたむろする売春婦にも差し込むのだということを知らせるためだったかもしれない」。延世(ヨンセ)大学のキム・サングン教授の推論だ(『カラヴァッジォ、二重性の殺人美学』)。

人間の娘として生まれ、人間の生活を送った聖母マリアは早くに夫を亡くし、1人で育てた息子まで先に見送った。息子は見かけ上は惨めな姿で人間としての生涯を閉じ、その後マリアは迫害を受け、苦しめられ、異国の地(トルコのエフェソス)で息を引き取った。カラヴァッジォは苦難の連続だったマリアの生を描こうとしたようだ。中世教会のドグマ的崇高さではなく、聖と俗を合わせて救いを表現しようとしたようだ。昇天壁画では象徴できない実存的宗教性がその中に隠れているようにみえた。

ソウル日本大使館の前に設置された「平和の少女像」は成功作だ。初めてそれを見た時、悲しくみえるようなそうでないような、怒っているようなそうでないような少女の絶妙な表情が激しく胸に迫ってきた。他の人にも同じような衝撃を与えたからこそ、全国の学校や広場に300体以上が設置されることになったのだと思う。

この少女像の成功(評論家チェ・ボムは政治的・商業的に成功したと評価)は定形化された慰安婦被害者イメージを国民の心に刻み込んだ。チマチョゴリを来た花のように美しい10代の少女の悲しみと恨みが混ざった表情が代表的な象徴となった。美術評論家イム・グンジュンは「韓国式理想主義彫刻、または韓国式念願投射彫刻」と評した。このような主張の背景には、慰安婦の平均年齢が20代半ばで、旧日本軍が強制的に連行したという一般的認識と一致しない被害者証言が存在するという事実がある。

日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)理事長の李娜栄(イ・ナヨン)教授はこのように書いた。「少女像は歴史の中に隠された数多くの女性の苦痛な経験を貫くジェンダー不正義の表象であり、苦痛が作られる構造と歴史に、より深い関心と抵抗を要請する象徴物とみるべきだ」。その希望とは違い、少女像は反日民族主義と国家主義を刺激する表象としてその位置を確立した。チン・ジュングォン氏は「いったい世界のどこの国に同じ銅像を全国に雨後の筍のように設置する場合があるか」と問う。通念の枠組みを破って実存を選んだカラヴァッジォのように、少女像に被せられた画一的な被害者イメージを取り払う者の出現を待つ。

イ・サンオン/論説委員

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    2020.06.18 13:51
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