【時視各角】慰安婦運動の大義を独占するという傲慢
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.06.16 10:49
北京特派員時期、中国山西省の人里離れた村を訪ねたことがある。有名な慰安婦活動家から中国人被害者チャンさんに会わせてほしいという要請を受けて紹介者兼通訳として同行した。この人は李容洙(イ・ヨンス)さんとの間を取り持ち、韓中活動家同士の連帯を構築しようとしていた。一日では行って帰ってくることができないほどの遠い道を個人経費を使って同行したのは微力でもその仕事を助けたいという気持ちがあったからだ。しばらくしてチャンさんが亡くなったため李さんとの出会いは実現しなかったが、中国人活動家は何回も韓国を行き来し、そのたびに私は招請状の翻訳とビザ手続を代行した。冒頭にこのような個人的な経験を書くのは、慰安婦運動の「大義」を否定する勢力ではないことを明らかにして誤解を防ぐためだ。
私だけではなく、大韓民国国民の絶対多数が慰安婦運動の大義に賛同するだろう。30年余り前に公開議論さえ敬遠されていた慰安婦イシューがここまで来たのも、振り返ってみれば国民的な支持があったからこそ可能だった。ところが疑惑の当事者として指定された数人はその大義を独占しようとする。李娜栄(イ・ナヨン)正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)理事長は記者会見で「私たちがいなかった慰安婦問題が教科書に載ることもなかった。皆さんは何をしていたのか。本一冊は読んだのだろうか」と話した。会計処理がまともにできなかった些細な手落ちはあったとしても、そこに入り込む資格さえない人々があれこれ言うのは耐えられないという独善だ。貯金箱を叩いて寄付を出した国民の支持で慰安婦運動が今日に至ったという事実は眼中にない。およそ社会運動に従事する人間が備えるべき品性とはいえない。
「土着倭寇」の烙印は追い詰められるたびに取り出す「伝家の宝刀」だ。尹美香(ユン・ミヒャン)は「第21代総選挙は韓日戦」と話した。国家代表戦士を応援はできないにしても、どうして足を引っ張るのかという抗弁だ。これまた二番手と言われたら悔しい独善だ。