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【時論】韓国のG11加入、米国の招待だけで可能になるわけではない

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.06.11 08:13
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米国のドナルド・トランプ大統領が主要7カ国(G7)をG11またはG12に拡大しようとすると、国際社会の関心が熱くなった。G7ワシントン首脳会議に韓国・ロシア・オーストラリア・インドなど4カ国を招待すればG11に、ここにブラジルを含めばG12になる。

新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)という世界的危機に直面し、新たな多国間協力体制は登場することができるだろうか。新体制はグローバル議題の設定と主要国の同意創出力にかかっている以上、米国の一方的な決定で実現することができないことはG7結成以降の歴史が教えてくれている。

 
1973年10月から74年1月まで石油価格は1バレルあたり3ドルから12ドルに急騰した。74年経済協力開発機構(OECD)の平均物価上昇率は13.5%にのぼり、失業率も約2倍に高まった。

1970年代の世界経済は危機に対応する能力を喪失し、米国はこれ以上一人で新たな秩序と安定を維持したり主要国間の葛藤を調停したりすることができなくなった。G7はこのような全地球的な危機の渦中で誕生した。

G7第1回会議は1975年11月フランス・ランブイエで開催された。G7は「主権-相互依存のジレンマ」を解決するための集団管理体制だ。主要な手段は政策調整だった。フランスは危機管理のための政策協力体制が必要だという議題設定に成功することによってG7発足を主導した。

グローバル体制の転換には世界的危機と議題設定の国際政治が作動する。危機は政策協力の可能性を高めて現象変更の機会を提供する。

G20(20カ国・地域)体制も世界金融危機の中で誕生した。G20はアジア金融危機を契機に財務長官会議の形で1999年に初めて開催された。2008年に世界金融危機が起きると、ワシントンでG20首脳会議首脳会議に初めて格上げされた。そして2010年第5次G20ソウル首脳会議以降、G20首脳会議はG8(G7+ロシア)との連携なく独立的に運営され始めた。

G20首脳会議と競争したガバナンスモデルもあった。バルト海に接したドイツのリゾート都市ハイリゲンダム(Heiligendamm)で始まった「ハイリゲンダム・プロセス」だ。2007年ハイリゲンダムG8会議でG8とO5(Outreach 5)の対話が始まった。O5は中国・インド・ブラジル・メキシコ・南アフリカ共和国など5カ国だ。G8とO5を合わせてG11に拡大する可能性もあった。

そして2008年日の洞爺湖G8会議には、韓国・オーストラリア・インドネシアなど3カ国がO5とともに招待された。G16体制のスタートも可能だった。しかし、2008年9月リーマン・ショック以降、新たに発足したのはG20体制だった。危機克服のためには経済的な比重が大きい新興経済国がすべて参加しなければならないという方向で、その頃のアジェンダと利害関係が再編されたためだ。

韓国は2008年金融危機をグローバル国家として成長する機会にし、G20体制に成功裏に参加した。グローバル議題設定の国際政治に能動的に参加したおかげだ。

グローバル危機の中でグリーン成長や国際金融セーフティネット、開発途上国の力量強化を中心にした「ソウル開発コンセンサス」などの議題を主導的に提案した。主要国の同意を得てG20と経済協力開発機構(OECD)の政策まで採択された。

G11またはG12体制の発足と韓国の参加は米国の招待だけで可能なものではない。韓国が新しいグローバル・ガバナンスに主導的に参加するためには、このパンデミック(世界的大流行)時代、グローバル議題が急速に再編されている国際政治の中心部に深く食い込んでいかなくてはならない。

選挙と国内イシューを超えて問題を鳥瞰するグローバルな視角、自由貿易と民主主義の価値を共有する国々の同意を創出する信頼構築の戦略的一貫性が必要だ。歴史から学び経験を共有し、周辺と協力することがグローバル体制転換期に韓国が出発点としなければならないことだ。

ヤン・ギウン/翰林(ハンリム)大学グローバル協力大学院長

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