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【ナウ・イン・ジャパン】「保守」政経塾40年…岐路に立った松下幸之助の夢(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.04.27 13:52
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東京の都心から電車で1時間、神奈川県茅ヶ崎市汐見台5-25。夏目漱石の『こころ』をはじめ多くの文学作品と漫画『スラムダンク』に登場するその有名な湘南の海岸にほど近いところに「松下政経塾」のアーチ型の正門がある。

松下電器産業(現パナソニック)創業者である「経営の神様」こと松下幸之助(1894~1989)が84歳だった1979年、私財70億円を投じて設立した人材士官学校だ。

 
日本は高度成長期だったが、松下は「わが国は戦後、経済を中心として、目をみはるほどの急速な復興発展をとげてきた。(中略)しかしながら、日本の現状は、まだまだ決して理想的な姿に近づきつつあるとは考えられない」とし「国家の未来を開く長期的展望にいささか欠けるものがあるのではなかろうか」(設立趣意書)と憂慮した。あわせて「真に国家を愛し、二十一世紀の日本をよくしていこうとする有為の青年」を育成するために政経塾を開いた。

江戸末期の先覚者吉田松陰が明治維新の主役を育てた「松下村塾」にも比肩するほどの実験だった。907人の志願者の中から選抜された1期生23人で1980年4月1日、政経塾はスタートした。そして今月1日でちょうど40年を迎えた。

松下は94歳で亡くなる1989年まで、この政経塾に直接関わった。松下の人材養成方式は独特だ。「指導者は、自ら進むべき道を知り、開拓していかなければならない」(自修自得)、「現地現場に身を置いて問題の本質を見極めなければならない」(現地現場主義)、「洞察力と体力、人間性を兼ね備えなければならない」(徳知体三位一体)が大きな枠組みだ。常勤講師を置かず、研究課題を自ら決める主体性、4年間続く寮生活と午前6時起床直後に清掃やジョギングなど自己管理が強調される。

政経塾内部は今でも設立者の息づかいをそのまま残している。銅像や大講堂の大型写真の他に「大きく耐え忍んで、志を遂げる」という意味の「大忍」、若いときに修養の重要性を強調する「青春」などの親筆の揮毫が随所に掲げられている。当初から傍点は国家経営のための政治家養成につけられていた。松下の究極の目標は「相撲でいえば、『自民党部屋』だけではなく、もう一つの保守の部屋、『松下部屋』をつくること」(産経新聞)というから、政経塾は新党創党のための前哨基地だった。

保守新党の夢は失敗に終わったが、政経塾は日本を代表する政治士官学校に成長した。世襲政治家と官僚出身が自民党の主流とするなら、政経塾の中心はアウトサイダーだった。「地盤(地方区)」「看板(知名度)」「鞄(選挙資金)」など「3バン」を持たない者たちが自分の力だけ信じて集まってきた。卒塾生285人のうち政治分野への進出者が40%の113人、現役国会議員も衆参両院合わせて33人だ。

【ナウ・イン・ジャパン】「保守」政経塾40年…岐路に立った松下幸之助の夢(2)

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    2020.04.27 13:52
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    松下政経塾の象徴物である「黎明の塔」をはじめとする内部の様子。[中央フォト]
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