【コラム】日本囲碁を支える3大棋戦、その始まりは一人の人物
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.04.08 18:11
日本の第一人者、井山裕太九段は2015年に1億7200万円(約20億ウォン)を稼いで、世界最多賞金記録を更新した。従来の記録は李世ドル(イ・セドル)九段の14億ウォンだった。メジャー世界大会で日本が優勝したのは思い出せないほどだが、世界賞金1位は日本の棋士が多い。なぜか。日本が裕福な国という理由だけでは説明できない。
日本の囲碁を支えているのは日本3大棋戦だ。読売の棋聖戦(優勝賞金約5億1000万ウォン)、朝日の名人戦(約3億4000万ウォン)、毎日の本因坊戦(約3億2000万ウォン)は賞金だけでなく、予選から挑戦まですべて対局料が出る。日本棋院は秘密にしているが、棋聖戦の総額規模はメジャー世界大会の2、3倍と推定される。日本の囲碁人気が衰退して厳しい現実であるにもかかわらず、3大棋戦は健在だ。その理由を探して3大棋戦の過去をとどっていくと、意外にも1世紀前の棋士、秀哉という人物が出てくる。
本名は田村保寿。11歳で囲碁に入門したが、18歳になるまで初段免状も取得できなかった。棋士生活に嫌悪感を抱いて囲碁を離れ、さまざまな事業をしてみたが、空腹を満たせなかった。寺で碁の相手をしたり、米国への移民も考えた。しかし朝鮮の亡命者、金玉均(キム・オクギュン)に会い、彼の紹介で本因坊門下に入門して花が開いた。秀哉は21世本因坊となり、すぐに終身制の名人に推戴された。