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【時視各角】『パラサイト』に寄生すること=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.02.19 13:58
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「国ポン」(国家+ヒロポン、盲目的な愛国主義)という単語は嫌いだが、こういうときナショナリズムが行き過ぎる「国ポンを一杯あおる」のが人の常だ。アカデミー授賞式作品賞に『パラサイト 半地下の家族』(以下、『パラサイト』)が呼ばれた瞬間、鳥肌が立った。かなり以前、映画『タイタニック』で11個のトロフィーを握ったジェームズ・キャメロン監督が「私は世界の王だ」と吠えた、その場所だ。その場でポン・ジュノ監督はともにノミネートされていた「偉大なマーティン・スコセッシ」に敬意を表した。謙虚な受賞の感想にファンは一層熱狂した。「ポンハイブ」と呼ばれるポン監督の海外ファンダムは、アカデミー以降、ますます増幅していくような雰囲気だ。作品と同じくらい優れた弁舌・ユーモア感覚・人間味のためだ。

『パラサイト』がやり遂げたことは、広がり伸びていく韓国文化の力だけではなく、長年の西欧中心性が不安定になる世界大衆文化産業の構造変化を見せた。韓国内ではちょうど「既得権者」だといって袋叩きに合っていた386世代の名誉回復もした。特有の現実批判意識に新たな製作語法を使って、世界から認められた386監督の存在を雄弁に語った。『パラサイト』の投資・配給会社のCJに象徴される大企業の功労にも再び注目が集まった。アカデミー作品賞受賞の感想を李美敬(イ・ミギョン)CJグループ副会長が考えたことにいろいろ話はあるが、資格は充分だ。大企業・大資本のない『パラサイト』はない。

 
『パラサイト』が注目を浴びてから、これに便乗する人が多い。ソウル市は阿ヒョン洞(アヒョンドン)スーパー、鷺梁津(ノリャンジン)ピザ屋など撮影地4カ所で構成された「パラサイト・ペムツアー」案を出した。『グエムル-漢江の怪物-』『殺人の追憶』など、ポン・ジュノの他の映画撮影現場を見学する「ボン・ボヤージュ(bong voyage)」ツアーの開発も推進する。劇中、半地下の家とその地域、金持ちの家のセット場があった高陽市(コヤンシ)と全州市(チョンジュシ)は撤去したセット場を再建設して観光コースとして開発する。誰もが韓流観光効果を狙う。政界では総選挙出馬予備候補の間でポン・ジュノ公約が飛び交う。ポン・ジュノの故郷である大邱(テグ)に「ポン・ジュノ映画博物館」を建設することを筆頭に「ポン・ジュノ・カフェ通り」「ポン・ジュノ生家の場所造成」「ポン・ジュノ銅像」「パラサイト家族造形物設置」など、吐き気がするほどだ。

米国ニューヨーク・ブロンクスには「ジョーカーの階段」がある。今回のアカデミーで主演男優賞を受賞した『ジョーカー』に登場した後、ファンが巡礼する名所になった。人気のあまりない虞犯地帯が久しぶりに活力を取り戻したが、住民たちの疲労感という副作用も大きくなった。あちこちに「撮影禁止」の立て札が立てられ、観光客に対して住民が生卵を投げる事件も起きた。観光客が増えて地域経済は活性化するが、住民が被害を受ける「オーバーツーリズム(過剰観光)」の一事例だ。ファンが自発的に集まることは仕方ないが、官が前に出るときにはもっと精巧でなければならない理由だ。貧富の格差を批判した映画の中で、貧困の現場を見世物に転落させるという批判も出ている。海外にもドラマ・映画撮影地の観光プログラムはあるが、このように政治家や地方自治体が先を争うようにして前に立つのは多分に韓国的だ。

よく知られているように、ポン監督は過去の保守政権時代に文化芸術界ブラックリストに入った。自由韓国党はポン・ジュノ博物館建設の前に、まだ自分たちの政治的不振を「左派の巣窟・忠武路(チュンムロ)」のせいだけにしていないか振り返る必要がある。大統領と与党は快挙を賞賛して文化芸術家福祉公約を出したが、劇場を後にしても残像がしばらく後を引く映画の「後味の悪い面白さ」と、その示唆点に対して重量感を持って受け入れる論評はなかった。

今回の「オスカーレースの中で、ポン・ジュノ監督は両極化の主題に関連して「革命をしようということか」「選挙に出馬する考えはあるか」という外国記者の質問を受けた。その時、彼は「戦いの対象が曖昧になりながら革命は遠ざかった。現実の複雑性を映画に込める」「私たちは(政治でない)芸術に夢中だ」と答えた。映画は問題提起するだけで、残りは現実の役割という説明だ。その主体になるべき韓国政界は、映画の本質にはこれといった関心は示さず、『パラサイト』の光栄に「寄生」してついて回ろうと忙しい。もしかしたらこのすべてがポン・ジュノ式ブラックコメディの一場面のように感じられたりもする。

ヤン・ソンヒ/論説委員

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