【中央時評】災難は信頼資本を蓄積する機会だ=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.02.19 13:26
シカゴ空港での経験だ。未明に別の空港からシカゴに到着し、帰国便の飛行機に乗るための手続きを終えた。ところがゲートと免税店に行く出口の扉が開かなかった。出口の前は旅券確認と保安検査を終えた人たちの長い列ができた。内心「これが米国の問題なのか」とあきれていた。かなり時間が経過してから放送が流れた。カギを持った新入職員が朝寝坊をして、現在向かっているという説明だった。10分ほど過ぎてから出口の扉が開き、青年の職員が現れた。その瞬間、予期せぬことが起きた。出口の前で待っていた人たちが非難するどころか、拍手で激励したのだ。青年は感激しながら「申し訳ございません、ありがとうございます」という言葉を繰り返した。筆者もいつの間にか拍手をしていた。「これが先進国の力か。共同体の品格か」と思いながら。
その青年は自分の失敗を温かく受け止めてくれた人たちを忘れることができないはずだ。いつかこの青年も他人の失敗を寛容に許す人になるのだろう。このような心が行き交えば人々の間に信頼が芽生える。信頼は個人的な危機で他人が見せる言葉と行動を通じて形成されたりする。純粋な失敗と故意的な悪行を区別し、前者は包容するが後者は厳格に処罰する国では、人と制度に対する信頼が高い。信頼は雇用を創出し、共同体を安全にし、構成員の幸せを増加させる。信頼を「社会的資本」と呼ぶ理由だ。
社会的な災難も信頼に影響を及ぼす。1995年の阪神・淡路大震災の場合だ。地震の前後を調査すると、地震発生地域の社会的資本は増加した半面、他の地域には変化がなかった。災難は各自の苦闘の末、自分がどれほど他の人たちとつながっている存在であるかを悟らせる。我々の生活、さらに生命までも自分一人では守ることができないということを知れば、我々は隣人の重要性に目を向けることになる。「他人からしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という聖書の言葉がなぜ黄金律であるのかを知る。