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【時視各角】伝染病が再び見せた底=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.01.30 10:07
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怖い。伝染病が拡大しているのに、どうして怖くないといえるだろうか。心理学者は最も基本的な人間の欲求が生存・安全で、地位や名誉はそれよりもずっと上位にある高次元的な欲望だという。会社の向かい側にある参鶏湯(サムゲタン)の店の前に列を作っている数十人の観光客にたびたび視線が向かう。普段は何気なく通り過ぎる風景なのに、彼らがやりとりする中国語が耳にくっきり刺さる。会社では誰かの鼻をすする音、せき・くしゃみが気になる。欲求階段の根底にある本能の発動だ。

程度の差はあるが誰でも怖いだろう。自分の病気や死、周辺の人に病気を移すことはどれも心痛むことだ。人間はこのような恐怖心によって危険を避けるように設計されている。かといって危険要素をなくす全ての方法が正当ではない。黒死病患者が発生した家や村の人々を燃やした時期に返ることはできない。

 
政府が中国武漢に孤立した国民をチャーター便で帰国させることを決めると、なぜ危険な人々を連れて帰ってくるのかという抗議の叫び声が爆発した。政府は帰国後2週間、天安(チョナン)の国家施設に隔離して感染していないかどうか確認するとした。なぜよりにもよって天安に連れてくるのかとの怨念の声があふれ、その後牙山(アサン)・鎮川(ジンチョン)の施設に方向を定めた。総選挙(天安には地方区が3つ)と天安市長補欠選挙が影響を及ぼしたものと察する。すると今度は牙山・鎮川住民が「決死の反対」を叫び始めた。さあこれからどうするべきか。

武漢から来る国民は罪人ではない。伝染病保菌者という確証もない。武漢は自分の家族と知り合いが仕事をし、勉強しに行ったかもしれない場所だ。すでに数カ国が自国民を武漢から団体で帰国させたが、このような大騒ぎをすることはなかった。「無条件集団隔離」もなかった。

中国人を乗せることを拒否するタクシー、中国人の出入りを禁じる食堂も登場した。一体、中国人をどのように選り分けるというのか。英語を使った場合、中国から来たのか、台湾やシンガポールから来たのかどうやって知ることができるというのか。パスポートを見せろとでもいうのか。危険を避けようとするのは個人の正当な権利行使だと言うな。それなら医師や看護師が風邪の症状を示す患者全員に対する診療を拒否してもかまわないという論理になる。職業的責任がある。医療関係者は病気の治療をしなければならず、タクシー運転手は乗客を目的地まで連れて行かなければならない。映画『タクシー運転手』でソン・ガンホが最後まであきらめず光州(クァンジュ)まで向かったことは、単純にお金10万ウォンのためだけではなかった。

配達ライダー労働組合のメンバーは中国人密集地域に行かないという。あわせて「危険手当」を配達条件に提示した。数時間後に立場を翻意したはしたが、どこかしこりが残る。彼らが配達注文者と接触するのは包装された食品を手袋をした手で手渡す瞬間だけだ。これが手当てを別途取らなければならないほど危険なことなら、ソウル都心のコンビニエンスストアやデパート、食堂従業員は「生命手当」をもらってこそ釣り合いが取れる。

5年前、中東呼吸器症候群(MERS)事態の時、ソウル市長が深夜の生中継会見で、サムスン病院の医師が病状があることを知りながらも活動して1500人以上と接触したと発表した。その医師がMERS感染を知っていたというのは事実ではなかったし、1500人も誇張された数値だった。騒がしく存在感をより高めた市長は後日、医師の集団抗議を受けて謝罪した。

もう国民のほとんどはその記憶が薄れていると思うが、MERS患者の治療に専念した医師の子どもが「登校を拒否された」こともあった。保護者がその医師の子どもはMERSに感染しているかもしれないと言って、登校させないようにと校長に要求した。韓国社会がその時すでに底を見せていた。

映画『南山(ナムサン)の部長たち』(原題)でキム・ジェギュ役を演じた俳優(イ・ビョンホン)が叫んだ。「人には人格(人の品格)というものがあり、国には国格(国の品格)というものがある」。話者がこのような話をする資格を備えているかどうかはわからないが、その言葉自体には同意せざるをえない。今回は国格、人格の底をどこまで見ることになるだろうか。伝染病には及ばないだろうが、それも怖い。

イ・サンオン/論説委員

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