주요 기사 바로가기

辛格浩名誉会長と50年知己の奥野翔氏、「ニューヨークと東京にロッテワールド建てて去ったならば…」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.01.22 07:56
0
「ニューヨークと東京にロッテワールド建設を推進したが結局成し遂げられないで去った」。

辛格浩(シン・ギョクホ、重光武雄)名誉会長と50年の親交がある建築家の奥野翔氏の言葉だ。21日に辛名誉会長の葬儀室が設けられたソウル峨山病院を訪れた奥野氏は記者らと会い、「辛名誉会長は挑戦精神が優れた人」としながら故人を追慕した。

 
建築家である奥野氏は50年前に日本ロッテのあるプロジェクトを引き受けて辛名誉会長と縁を結んだ。奥野氏は辛名誉会長の要請でソウル・小公洞(ソゴンドン)のロッテホテル建設計画から参加した。1979年に完工したロッテホテルは当時東洋最大の超一流ホテルで、6年間の工事の末にオープンした。地下3階地上38階建てで1000室以上の客室を備えた。当時京釜(キョンブ)高速道路の建設費に匹敵する1億5000万ドルが投資された。

奥野氏は「ホテル建築のためソウルに到着してタクシーに乗ったが、タクシーの床に穴が開いているほどソウルが立ち後れていた時期。そんな時期に1000室もあるホテルを作るといってみんなが驚いた」と当時を回想した。

ロッテホテルに続き蚕室(チャムシル)ロッテワールドアドベンチャー建設にも参加した奥野氏は「辛名誉会長は常に金を儲けたり収益を考えず、世界で最高、最初を要求した」と話した。その上で「何よりテーマパークを建築物の間に組み込むのは画期的な発想だった。当時プロジェクトに参加した全員が反対したが、辛会長が押し進めた。あきらめず挑戦精神が優れた方だと感じた。その時が辛会長の人生の絶頂期でないかと思う」とも話した。奥野氏は辛名誉会長について「スーパーマン」としながら「人間的な親しみと温もりを持っていた」と話した。

彼は辛名誉会長が生前にニューヨークと東京にもロッテワールド建設を推進したと紹介した。奥野氏は「辛会長がニューヨークと東京にもロッテワールドを作ろうとしたが作れないで世を去った。ニューヨークにロッテワールドが建てられたなら、現在のロッテはグローバル市場でまた別の活躍をしていなかっただろうかと考える」と無念さを示した。

一方、葬儀室には21日も弔問が続いた。財界からは許昌秀(ホ・チャンス)全国経済人連合会会長、李明熙(イ・ミョンヒ)新世界会長、鄭溶鎮(チョン・ヨンジン)新世界副会長、具光謨(ク・グァンモ)LG代表、趙顕俊(チョ・ヒョンジュン)暁星グループ会長、尹潤洙(ユン・ユンス)フィラコリア会長、姜徳寿(カン・ドクス)前STX会長らが訪れた。

洪錫ヒョン(ホン・ソクヒョン)中央ホールディングス会長、成楽寅(ソン・ナクイン)元ソウル大学総長、成允模(ソン・ユンモ)産業通商資源部長官、尹炳世(ユン・ビョンセ)元外交部長官、趙ヨン炳(チョ・ヨンビョン)新韓金融持ち株会長も弔問した。

元野球選手の朴賛浩(パク・チャンホ)氏と元プロボクシング世界チャンピオンの洪秀煥(ホン・スファン)韓国ボクシング委員会会長も葬儀室を訪れた。洪会長は「私がリングでチャンピオンになったとすれば、あの方は業界でチャンピオンになった。ボクシングの4転5起をあの方の人生で十分に現わされた」と故人を追慕した。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP