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【時視各角】文大統領の「伽耶愛」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.12.11 09:54
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文在寅(ムン・ジェイン)大統領は大統領選挙の地域公約から「伽耶史研究復元」に言及した。日本が伽耶を支配したという「任那日本府説」など、歴史歪曲(わいきょく)に対抗した古代史を正しく立て直すこと、嶺南(ヨンナム)・湖南(ホナム)・忠清(チュンチョン)に広がった伽耶遺跡復元事業を通した地域主義緩和次元だった。就任直後、伽耶史の研究復元を国政課題として注文した。「伽耶文化圏の調査・研究および整備」が「国政運営5カ年計画100大課題」に含まれた。

伽耶遺跡発掘事業が力を得て、地方自治体は予算獲得戦を繰り広げた。伽耶をテーマにしたストーリーテリング公募展も作られた。文化財政策研究院のチェ・ギョンジン政策研究チーム長によると、「2016~17年に1件もなかった伽耶文化財指定は文在寅政府に入って5件にもなる。国家指定文化財調査と研究予算も600%以上増加した」という。

大統領夫人の金正淑(キム・ジョンスク)氏もこれに力を添えた。昨年11月のインド訪問の際、北部アヨーディヤーの「許皇后記念公園」起工式に出席した。許皇后は伽耶の中心地である駕洛国の金首露(キム・スロ)王と結婚したインドの王女で、『三国遺事』に登場する。実存人物という根拠は不明だが、古代韓国とインドの交流を象徴している。許皇后の故郷というアヨーディヤーには、2002年、韓国の駕洛中央宗親会が許皇后誕生碑を建てた。

ところが、最近「伽耶ブーム」は相次ぐ論争を量産中だ。歴史的・学術的根拠が弱いにもかかわらず、成果を誇張したり便乗したりすることが相次いでいる。今年3月、慶尚北道高霊郡(キョンサンブクド・コリョングン)の池山洞(チサンドン)古墳群で発掘された大伽耶土鈴は、『亀旨歌』に代表される金首露王の建国神話の内容が描かれた遺物だとして大々的に広報されたが、学界はごり押し主張だと一蹴した。今年6月、慶尚南道昌原市県洞(キョンサンナムド・チャンウォンシ・ヒョンドン)の遺跡発掘も最大規模だと膨らませて厳しい視線だけを浴びることになった。

さらに最近では、国立中央博物館の特別展「加耶の本質-剣と弦」が論争になっている。検証されていない論争中の土鈴、「説話の中の人物」許皇后がインドから持ち込んだという「婆娑石塔」を代表遺物として展示した。婆娑石塔の横には「(首露王と許皇后の)出会いは記録で残されている最初の国際結婚であり、多文化家族の始まり」という説明もつけられた。神話と歴史を混同しているうえに、5世紀の新羅の遺物〔昌寧(チャンニョン)古墳出土〕を駕洛遺物に化けさせたという学者の指摘の声もあった。国立博物館に求められる厳密な考証よりも、国政課題の広報に力を注いだ「コード型不良展示」だ。

「伽耶愛」の始祖は金大中(キム・デジュン)大統領だ。2000年に伽耶復元プロジェクトを稼動させた。大衆に伽耶を刻印させた許皇后ストーリーは1980~90年代に集中的に取り上げられた。釜山(プサン)外大インド学部のイ・グァンス教授は、これを歴史的な実体なく民族主義・愛国心に頼る「類似歴史学」の一つとして批判する。本『インドから来た許皇后、その作られた神話』を通じて「古代韓国とインドの接触を示す三国遺事の5つの説話のうち、唯一許皇后ストーリーだけが事実として受け入れられたが、これは半島コンプレックスから脱したい『偉大な韓民族』心理を刺激したため」と分析した。本『類似歴史学批判』のイ・ムニョン氏も「古代に韓半島(朝鮮半島)とインドが交流したという主張が民族主義的感性を刺激して、韓民族が世界史の主役だったような錯覚を提供する。中国を通じずに仏教と茶が入ってきたという点は、中国に対する劣等感を克服するのに役立った」と書いた。

当初、考古学界は伽耶史復元に期待を示した。忘れられた700年の歴史を取り戻そうという意味だった。しかし「すべての道は伽耶に」類の相次ぐハプニングは苦々しいばかりだ。また、歴史研究が方向と目的が何であろうと、政府の政策に合わせて「国政課題」に誘導される方式も不適切に思われる。その上、偽書『桓檀古記』ブームに要約される守旧民族主義の類似歴史学の影がここでもちらつくようなことがあれば? イ・ムニョン氏は「インドで許皇后を持ち上げた勢力はヒンドゥー・ナショナリズム政党(インド国民党)」としながら、かえって「彼らにとっては偉大なヒンドゥーの力が韓半島にまで及んだということは良い宣伝材料」と話した。

ヤン・ソンヒ/論説委員

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