【社説】検察捜査官の死を政略的に利用してはならない=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.12.04 11:33
一個人が自らの人生を整理するのは社会共同体に対する怒りや挫折、絶望から抜け出すための極端な選択だとみられる。また悔しいことによって自身の名誉が汚されることを防ぐために死をもって自身の尊厳を守ろうとした事例を私たちは歴史から経験した。そのため、私たちは人格体の死の前で敬けんになるべきであり、彼の犠牲が無駄にならないように社会の構造的問題点を把握して改善するべき義務を持つ。
昨年6月、地方選挙を控えて金起ヒョン(キム・ギヒョン)当時蔚山(ウルサン)市長の不正疑惑を探っていたという疑いが持たれている青瓦台(チョンワデ、大統領府)民情秘書官室特別監査チーム所属だった検察捜査官の死をめぐって政治的攻防が繰り広げられているのは恥ずかしい私たちの自画像だ。特に、検察が警察署に保管されていた捜査官の携帯電話を押収するとフォレンシック(科学技法を動員した犯罪分析)の主体と方法をめぐり検察と警察、青瓦台と与野党が絡まって論議を巻き起こす姿は文在寅(ムン・ジェイン)政府の法治主義の水準を赤裸々に見せる。デジタル分野では世界最高水準だと自賛した検察のフォレンシックを今になって信じられないというのは何を意味するのか。青瓦台と与党は何を隠したいのだろうか。また、警察はなぜこのように行動するのだろうか。捜査官の携帯電話に言えない秘密が隠されていると見るのか。