【コラム】ノーベル賞が引き裂く師弟の間
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.10.16 11:42
学者が得られる最高の栄誉はノーベル賞受賞ということに同意しない人は特にいないだろう。米国大統領だったオバマ氏もうらやんだ驚くほどの教育熱にもかかわらず、これまで韓国が平和賞を除いてはただ1人のノーベル賞受賞者も輩出できなかったということが事実少し気まずい。しかし一般的に信じられていることとは違いノーベル賞受賞者選定はしばしば争いの種となり、ノーベル賞受賞の基盤となった研究結果が後で間違っていたことが明らかになったケースもあった。指導教授と大学院生がともに成し遂げた成果に対するノーベル賞授与が結局師匠と弟子の間を永遠に引き裂くこともあった。最初の結核薬開発に関連した話だ。
過去2世紀にわたり約10億人の命を奪った結核を治療できる薬を初めて開発したのはウクライナ生まれのユダヤ人だったセルマン・ワクスマン博士だった。米ニュージャージーのラトガース大学で微生物学者として働いていた彼は、土の中から抗菌物質を探そうとする長い努力の末に、1943年に初の抗結核剤であるストレプトマイシンの分離を成し遂げた。人々はもう結核は征服されたと信じ、ワクスマン博士は1952年にノーベル生理学・医学賞受賞者に選ばれる。