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【時論】チョ・グク一家の捜査と検察改革の本質

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.10.10 13:41
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前政権に向かって「積弊捜査」の刀を振りおろした尹錫ヨル(ユン・ソクヨル)。大統領は彼を検察総長に任命した。「人に忠誠を尽くさず、生きている権力を捜査した人」と呼んで積弊捜査の持続と検察改革を任せた。大統領と検察改革信念の同志であるチョ・グク。論文の虚偽作成や表彰状の偽造、私募ファンド不正疑惑で家族に対する捜査が進行中で荒々しい反対世論にあったが、大統領は彼を「検察改革の適任者」と呼んで長官に任命した。

2人は同じ「検察改革」という使命を与えられて一人の大統領によって任命されたが、3カ月経たずして反目の対称点に立っている。大統領はチョ・グクの方に立って検察改革を行うとし、尹錫ヨルの検察を圧迫している。検察改革がどうだからといって、同じ課題を抱えている検察総長と法務部長官が反目しなければならないのか。長官一家の捜査が進行中である時点に、なぜ検察改革が大統領によって再三強調されているのか。

 
検察改革は検察の傲慢から始まった。文民政権になると法治国家を導く公権力の核心は警察や情報部・保安司ではなく検察となった。法治の名分の下で検察の力は大きくなり地位は高まったが、強力な大統領制国家で、力は権力の核心である大統領との距離によって大きな影響を受けた。人事権を握る大統領と政治権力は検察を手段として活用しようとする誘惑にかられ、検察は大統領と権力の心中を読みながらさらに大きな力を得てもっと容易な道に進もうとした。

権力と結託することによって力は大きくなったが、政治的中立は崩れ、大きくなった力は例外なく検察を傲慢の罠に陥れた。検察が追求しなければならない価値は3つに集約することができる。1つ目は政治的中立と捜査の独立すなわち、公正性だ。2つ目は清廉性で、3つ目は専門性だ。3つのうち最も重要なのは政治的中立と捜査の独立だ。これは検察が歩んできた栄辱の歴史から得た貴重な教訓だ。生きている権力を捜査する時、検察は国民の支持を受け、権力と金力の前に体を曲げる時、検察は不信と嫌悪の対象になった。

捜査というのは犯人を検挙して証拠を捜し出す作業で、捜査の究極的目標は正義の実現だ。だが、捜査現場は手荒で侵害的なのが事実で、特殊捜査は力が強力なだけに反作用も大きい。法律違反者を処罰することによって正義は守ることができるが、当事者と家族には苦痛と試練が伴う。真実を明らかにすることも正義と人権の価値を調和させるのも難しい課題だ。そのため捜査は節制しなければならないものの、十分に訓練された専門家によって効率的に行われなければならない。

虚偽論文の作成や表彰状の偽造は決して軽い犯罪ではない。捜査の強度は、表面化した容疑の軽重よりも被疑者の社会的地位や疑惑に対する国民の関心度、捜査の拡張の可能性や難易度などによって変わってくる。現職法務部長官一家の不正疑惑で国民の注目を集めた事件なら、特捜部を投じて強力な捜査を進めることが国民に対する道理であり検察の存在理由だ。

前政権に対する一連の捜査も今回の捜査に決して引けを取らなかった。長官一家に対する捜査が進められている時点でのフォトラインの廃止、被疑事実の公表禁止、特捜部の縮小など、改革の本質でもないことが再三強調されて、群衆が立ち上がって大統領と長官を守るというのはどこかおかしく映る。

検察が憲法と人権を守って国民に奉仕する謙虚な組織として機能するために検察改革は必要だ。改革の核心である政治的中立と捜査の独立を守ることは一次的に検察構成員の責務だ。「両班は凍え死んでも、もみ殻の火にはあたらない」という言葉は犠牲なしには価値あるものを得ることはできないという意味だ。大統領と政治権力も検察の政治的中立を尊重しなければならない。これが国家と国民、さらには権力にも資するものであるというのが歴史的教訓だ。

キム・ギョンス/元釜山(プサン)高等検察庁長・最後の中央捜査部長

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